COMPANY PROFILE / 量子コンピュータ
IBM
― 超伝導方式の「全部入り」を目指し、チップの製造・誤り訂正・クラウドまでを自社でそろえる量子コンピュータの老舗
量子コンピュータとは、「0か1」ではなく「0と1の重ね合わせ」を使って計算する新しいタイプの計算機です。 IBMはその中でも、超伝導回路で量子ビット(量子コンピュータの計算の最小単位)を作る方式の代表的な会社です。 2016年5月に量子コンピュータをクラウドで公開し(会社は「最初のクラウド量子コンピュータ」と説明)、2026年10月16日の確認時点では、 会社の発表で「90台以上」の量子システムを世界に設置しています。 2026年にはさらに、5年間で100億US$超を量子に投じる計画と、量子チップ専門の製造会社「Anderon」の設立(米国商務省のCHIPS法の助成US$10億を最終合意)を発表しました。 本稿はIBM全社ではなく量子に絞って、何をどんな方式で作り、何に投じ、何をいつまでに実現すると言っているのか(それは計画であって達成ではないこと)を整理します。
- 30秒でわかるIBMと、量子コンピュータでの立ち位置
- ロゴと社名の表記について
- 量子コンピュータの世界で、この会社はどこにいるか
- 会社の規模(量子に絞って簡潔に)
- 量子コンピュータにかけているリソース
- これまでの取り組み
- 今後の計画(すべて計画です)
- この会社は量子コンピュータで何を目指しているか
- 量子コンピュータ分野の提携マッピング
- 提供している技術・製品・サービス
- この企業が抱えるリスク
- 用語集/出典/主張と出典の対応表
1. 30秒でわかるIBMと、量子コンピュータでの立ち位置
NYSE: IBM量子の研究拠点はニューヨーク州ヨークタウンハイツなど
周辺・ソフト(従)従はクラウド・Qiskit・HPC連携。区分は本稿による
Heron(156量子ビット)2026年8月にNighthawk r2をクラウドで提供と公式ブログ(物理量子ビット)
論理200量子ビット・1億ゲート会社の計画。達成の事実ではない
HRL買収(8月完了)量子ウェハーの専業工場/シリコンスピン量子ビットの研究所
量子コンピュータの会社は、量子ビットの作り方(方式)で大きく4つに分けられます(図1)。 IBMは超伝導の会社です。ほかの多くの会社が「量子ビットのつくり方」を磨くのに対し、 IBMはチップを作る工場(Anderon)・冷やす装置(冷凍機)・誤りを直す方式(qLDPC符号)・クラウドとソフト(Qiskit)までを一つの道筋で結んでいる点が特徴です 事実。 一方で、2029年の「大規模な誤り耐性のある量子コンピュータ(Starling)」や「2026年中の量子優位性」は会社の計画・主張であり、 第三者による最終確認はまだありません 未確定/将来。本稿はこの区別を最後まで保ちます。
量子ビット:量子コンピュータの計算の最小単位。普通のコンピュータの「ビット(0か1)」にあたりますが、0と1を同時に含む状態を取れます。 ただし壊れやすく、少しの熱や電気ノイズで間違えます。
物理量子ビットと論理量子ビット:装置の上に実際に作った量子ビットが「物理量子ビット」。間違いを直すために、物理量子ビットを何十〜何百個も組み合わせて作る「間違えにくい仮想の量子ビット」が「論理量子ビット」です。 両者は数え方がまったく違うので、本稿では必ずどちらかを書きます。
量子優位性:量子コンピュータが、ある計算で、いま知られている古典コンピュータ(普通のコンピュータ)の最良の方法より優れた結果を出すこと。 「できた」と主張する発表のあとに、古典側が「同じことができた」と反論する応酬が繰り返されてきた分野です。本稿では企業の主張として扱います。
2. ロゴと社名の表記について

表記の注意:会社名はIBM(正式名称 International Business Machines Corporation)。 量子の事業は社内でIBM Quantumと呼ばれ、研究部門はIBM Researchです。 ロゴはIBM Quantumの公式サイトに掲載されている「IBM Quantum」のロゴ(白抜き)を、暗い背景に置いています。
混同しやすいもの:Qiskit(キスキット)はIBMが開発する量子プログラミング用のソフトウェアの名前、Anderon(アンデロン)は2026年に設立が発表されたIBMの新会社(量子ウェハーの製造専業)の名前です。
公式サイト:https://www.ibm.com/quantum3. 量子コンピュータの世界で、この会社はどこにいるか
量子コンピュータに関わる会社は、どうやって量子ビットを作るかで4つに分けると整理しやすくなります。 超伝導は「電気回路を極低温に冷やして量子ビットにする」方式、イオン・中性原子は「原子そのものを並べて量子ビットにする」方式、 光・シリコンほかは「光の粒やシリコンの中の電子のスピンを使う」方式、周辺・ソフトは「量子ビットは作らず、使いやすくする」会社です。
金属の中には、極端に冷やすと電気抵抗がゼロになる「超伝導」という状態になるものがあります。 IBMは、その金属で作った小さな電気回路(ジョセフソン接合という、2枚の超伝導体の間に極薄の絶縁膜をはさんだ部品を含みます)を、 約0.015ケルビン(−273.135℃)まで冷やし、マイクロ波で操作して量子ビットとして使います 事実。 利点は、シリコンチップと同じ「半導体工場の技術」で作れるため、数を増やしやすいこと。 難点は、極低温まで冷やす冷凍機の大きさと、そこへ引き込む配線の数です。本シリーズの技術解説『超伝導量子ビット』『極低温と制御』でも扱います。
4. 会社の規模(量子に絞って簡潔に)
IBMは世界最大級のIT企業で、量子はその一部です。会社全体は表1つで押さえ、量子に関わる数字を別に示します 事実。
| 指標(会社全体) | 2023年12月期 | 2024年12月期 | 2025年12月期 |
|---|---|---|---|
| 売上高(百万US$) | 61,860 | 62,753 | 67,535 |
| 研究開発費(百万US$) | 6,775 | 7,479 | 8,316 |
| 従業員(2025年12月31日) | IBM本体と完全子会社 264.3千人/完全子会社でない子会社 8.7千人/臨時・短時間などの補完的な人員 13.8千人(フルタイム換算の概算) | ||
上の数字はIBM全社のものです。量子だけの売上・研究開発費・人員は、10-Kにもアニュアルレポートにも分けて記載されていません 未確定/将来。 10-Qの研究開発費の説明にも「AI、ハイブリッドクラウド、量子への投資」とまとめて書かれているだけです。 量子に関する数字として確認できるのは、会社が公式発表で示した次の2つです: (1) 2017年以降、量子の事業で11億US$超の契約に署名した(2026年6月2日の発表)、 (2) 今後5年間に100億US$超を量子に投じる計画(同日の発表)。 (1)は会社の公表値で、10-Kの数字とは別です。本稿は量子の売上や利益を推計しません。
5. 量子コンピュータにかけているリソース
IBMは量子について、金額・拠点・出資・公的資金の各面で、他分野よりはっきり公表しています。ただし人員数は非公表です。4点を、確認できたかどうかで整理します。
| リソースの種類 | 確認できた内容(確認日 2026年10月16日) | 区分 |
|---|---|---|
| 人 | 量子の専任人員数は非公表。確認できた関連情報は、(1) IBM Quantum Network(IBMの量子コンピュータを使う企業・大学・政府機関の会員ネットワーク)の参加組織が340超(会社の公表値)、(2) 2026年8月26日に完了したHRL Laboratories買収で研究チームが加わること(人数は発表になし)、(3) Anderonの最高経営責任者にIBM半導体部門の元ゼネラルマネージャーのMukesh Khare氏が就任したこと | 事実(人数は確認できず) |
| 金(投資計画) | 2026年6月2日に「今後5年間で100億US$超を量子に投じる」と発表。内訳の分野は研究開発・設備投資・製造の拡大・エコシステムの提携・M&A。Anderonへの現金US$10億の拠出を含むと同じ発表に記載 | 未確定/将来(計画) |
| 金(実績) | 量子だけの研究開発費・設備投資の実績は、10-K・10-Qに分けて記載なし | 確認できず |
| 外部への出資・買収・事業設立 | (1) Anderon(IBMの新会社・量子ウェハー専業。IBMがUS$10億を拠出)、(2) HRL Laboratoriesの買収(2026年7月23日に契約発表、8月26日に完了。金額は非公表。HRLはBoeingとGeneral Motorsが共同で保有していた研究所) | 事実 |
| 公的資金・政府との関係 | (1) 米国商務省のCHIPS法によるUS$10億の助成をAnderonに最終合意(2026年9月16日。5月21日の意向書から進展)、(2) DARPAの量子ベンチマーク計画(QBI)のStage Cに選定(2026年10月7日)、(3) 日本のNEDO(経済産業省所管)の事業の支援を受けた理化学研究所(RIKEN)への量子コンピュータ設置(2025年6月)、(4) 米エネルギー省傘下の研究所との共同研究(オークリッジ国立研究所ほか) | 事実 |
| 大学・研究機関との連携 | マサチューセッツ工科大学(MIT)との共同研究所(2026年4月29日)、ETHチューリッヒと10年間のアルゴリズム研究(2026年3月31日)、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(2026年4月16日)、シカゴ大学(量子優位性の実験、2026年7月30日)、東京大学(IBM Quantum System Oneを設置) | 事実 |
主要なデバイスの状況(確認日 2026年10月16日・すべてIBMの公式資料)
デバイスの数は「物理量子ビット」か「論理量子ビット」かを分けて示します。誤り率はIBMが公表した条件つきの値で、他社の数値と並べて優劣を比べることはできません。
| デバイス | 方式 | 量子ビット数 | 代表的な誤り率・性能(会社公表・条件つき) | 段階 | 日付・出典 |
|---|---|---|---|---|---|
| Heron | 超伝導(ヘビーヘックス配置) | 物理156 | 100量子ビットの層状回路で測った2量子ビットゲートの誤り率が3×10-3(最良の2量子ビットゲートは1×10-3)。CLOPS(1秒あたりに処理できる回路層の数)250,000 | 稼働 | 2025年6月23日の発表(理研設置機) |
| Nighthawk(r1/r2) | 超伝導(正方格子。各量子ビットが最大4つの隣と接続) | 物理120(結合器218) | 5,000回の2量子ビットゲートを含む回路を扱える(r1)。r2は7,500ゲート超の回路で観測量を正確に推定したと会社が説明。リセット高速化で1秒あたり10万回路超(Heronの約25倍と会社が説明) | 提供開始(r1は2025年末、r2は2026年8月) | 2025年11月12日の発表、2026年8月31日のブログ |
| Loon | 超伝導(実験用) | 確認できなかった | 長距離の結合(cカプラー)など、誤り訂正に必要な部品を載せた実験チップ。性能値は発表に記載なし | 開発(実験用チップを発表) | 2025年11月12日の発表 |
| Kookaburra | 超伝導(モジュール) | 未公表 | 論理処理ユニットと量子メモリを1つにしたモジュールを実証する、と計画 | 計画(2026年)。提供開始の発表は確認できなかった | 2026年3月更新のロードマップ |
| Starling | 超伝導(誤り耐性) | 論理200 | 1億ゲートの回路を実行する、と計画 | 計画(2029年。ニューヨーク州ポキプシー) | 2025年6月10日のブログ、公式ロードマップ |
| Blue Jay | 超伝導(誤り耐性) | 2,000 | 10億ゲートの回路を実行する、と計画 | 計画(公式ロードマップは「2033年以降」、HRL買収の発表は「2030年代半ば」) | 公式ロードマップ、2026年7月23日の発表 |
6. これまでの取り組み
IBMの量子の歩みは、「クラウドで誰でも使える」「ロードマップを公開して守る」「誤り訂正の新方式を論文で出す」の3本で見ると分かりやすくなります。
| 時期 | できごと | 意味 |
|---|---|---|
| 2016年5月4日 | 量子コンピュータをクラウドで公開(会社は「最初のクラウド量子コンピュータ」と説明) | 学生・研究者・企業が実機を試せるようになり、現在の利用者網の出発点になったと会社は説明 |
| 2024年3月 | 誤り訂正の新方式(qLDPC符号の一種、バイバリアントバイシクル符号。IBMは「gross code」と呼ぶ)をNature誌に発表。144個(1グロス)のデータ量子ビットで12個の論理量子ビットを守る[[144,12,12]]符号を示した | IBMは、表面符号(誤り訂正の標準的な方式)と同程度に誤りを直しつつ、必要な量子ビットを約10分の1にできると説明(理論と設計の提案。装置で全体を実証したものではない) |
| 2025年6月10日 | 誤り耐性のある量子コンピュータ「Starling」を2029年に届ける枠組みと、更新したロードマップを公表 | Starlingの建設地はニューヨーク州ポキプシー(IBMの既存施設)と説明 |
| 2025年6月23日 | 理化学研究所(神戸)に、米国外で初のIBM Quantum System Twoを設置。スーパーコンピュータ「富岳」と同じ施設内に置いて接続 | NEDO(経済産業省所管)の事業の支援を受けたと発表に記載 |
| 2025年8月26日 | AMDと、量子コンピュータとHPC(スーパーコンピュータなどの高性能計算)を組み合わせる計画を発表 | AMDのチップ(CPU・GPU・FPGA)を誤り訂正の高速処理に使えるかを探る、と記載 |
| 2025年11月6日 | DARPAの量子ベンチマーク計画(QBI)のStage Bに選定 | 2033年までに役に立つ誤り耐性量子コンピュータが作れるかを検証する公的プログラム |
| 2025年11月12日 | Nighthawk(120量子ビット)、実験用のLoon、誤り訂正のリアルタイム復号(480ナノ秒未満)、300ミリ工場への製造移行を発表 | 復号は「測定で得た誤りの手がかりから、どの量子ビットが間違ったかを高速で推定する古典計算」。会社は計画より1年早いと説明 |
| 2025年11月20日 | Ciscoと、量子コンピュータどうしをネットワークでつなぐ共同検討を発表 | 2030年末までに概念実証をめざす計画(未確定) |
| 2026年5月21日 | 米国商務省と、量子ウェハー専業の新会社Anderonを設立する意向書(LOI)を発表 | 商務省のCHIPS助成US$10億(提案)とIBMの現金US$10億 |
| 2026年6月2日 | 今後5年間で100億US$超を量子に投じる計画を発表 | 研究開発・設備投資・製造・提携・M&Aの合計。計画 |
| 2026年7月30日 | シカゴ大学、Qedma、Algorithmiqとそれぞれ「量子優位性」を実証したと発表 | 企業・研究者の主張。第7章・第11章で扱う |
| 2026年8月19日・31日 | 2台の極低温モジュールを連結して15ミリケルビット未満まで冷却/Nighthawk r2をクラウドで提供開始 | Starlingに向けた装置の大型化の一歩 |
| 2026年8月26日 | HRL Laboratories買収を完了 | シリコンスピン量子ビットと量子センサーの研究所を取り込む |
| 2026年9月16日 | AnderonがCHIPS助成US$10億の最終合意を発表 | 5月の意向書の段階から、確定した契約へ進んだ |
| 2026年10月7日 | DARPAのQBI Stage Cに選定 | ここから独立した検証チームがIBMのハードウェアを試験する段階 |
IBM自身の説明では、誤り訂正は「3つのビットに同じ値を書き、多数決で正しい値を選ぶ」のに似ています(0を000、1を111と書けば、1つ壊れても直せる)。 量子の場合はビットを直接コピーできないため、複数の量子ビットに情報を分散して書き込み、定期的に「間違いの手がかり(シンドローム)」だけを測って、どこが壊れたかを推定します。 その推定を速く行う古典計算がデコーダ(復号器)です。 量子ビットを何個も束ねて1つの論理量子ビットにするので、同じ誤り耐性を得るのに必要な物理量子ビットの数が、方式の優劣を分ける大きな要素になります。 本シリーズの技術解説『量子誤り訂正と表面符号』『論理量子ビットと耐故障量子計算』で詳しく扱います。
7. 今後の計画(すべて計画です)
以下はすべてIBMの公式資料に書かれた計画です。「予定」が守られるかどうかは、確認日(2026年10月16日)時点で第三者が確認したものではありません 未確定/将来。
Nighthawkで7,500ゲートロードマップ(2026年3月更新)。3つのモジュールで計360量子ビットを想定
1万ゲート2つのKookaburraをLカプラーで接続。チップ間接続で1,000量子ビット以上をめざす(8月19日の発表)
量子優位性は、IBMやGoogleなど複数の組織が「達成した」と発表し、そのたびに古典側の研究者が「古典の工夫で再現できた」と反論してきました。IBM関連でも同じ構図があります。
過去の例(2023年):IBMは127量子ビットのチップで、力ずくの古典シミュレーションを超える規模の回路を動かし、磁性体のモデル(キックト・イジングモデル)の観測量を得たとNature誌に発表しました(Kim氏ら、2023年6月)。 その後、古典側の研究者がテンソルネットワークという手法で同じ実験を再現する論文(Tindall氏ら、PRX Quantum、2024年1月)を出しています。
2026年7月30日の発表:IBMはシカゴ大学・Qedma・Algorithmiqと、それぞれ量子優位性の実証を発表しました。IBMの説明では、シカゴ大学との実験は70個の論理量子ビットを使い、約15分で終わった計算が、古典の主要な手法では現実的でない時間を要するとしています。 Qedma(最大74量子ビット)とAlgorithmiq(56量子ビット)の実験では、古典の複数の手法が互いに食い違い、量子の結果とも一致しなかった、と説明しています。 IBMは、これらの回路と結果を公開の「Quantum Advantage Tracker」に載せて、古典側からの反論を受け付けています。
本稿の確認範囲:2026年10月16日の時点で、2026年7月の3つの主張を古典の計算で再現したとする査読論文や公式発表は、一次情報では確認できませんでした。 ただし「反論がない」ことは「正しい」ことを意味しません。この分野では検証に数か月〜数年かかることがあり、本稿は企業の主張として扱います 未確定/将来。優位性の読み方は本シリーズの技術解説『量子優位性の読み方』も参照してください。
8. この会社は量子コンピュータで何を目指しているか
ここは会社が直接には述べていない部分を含みます。一次情報から読み取れる範囲の推測として、根拠とともに書きます。
| 読み取れること | 根拠となる一次情報 | 区分 |
|---|---|---|
| 超伝導方式に集中しつつ、製造まで自社グループで握る方針 | 300ミリ工場への製造移行(2025年11月)、Anderonの設立(2026年5月〜9月)。AnderonはIBM以外の量子ハードウェア会社にもウェハーを提供すると発表 | 推測 |
| 超伝導一本ではなく、シリコンスピン方式も視野に入れている | HRL買収の発表に「超伝導とスピン量子ビットはどちらもシリコン製造技術を使う」「Anderonと組んでスピン量子ビットの製造を検討しうる」と記載 | 推測 |
| 当面の事業の柱は量子優位性の実証と利用者の確保、長期の柱は誤り耐性機(Starling) | 2026年に量子優位性を狙う計画、2017年以降11億US$超の契約、100億US$の投資計画 | 事実(計画の存在)/優先順位の読みは推測 |
| 量子コンピュータをHPC(スーパーコンピュータ)に組み込む使い方を標準にしたい | 量子中心スーパーコンピューティングの参照アーキテクチャ(2026年3月)、AMD・理研・イリノイ大学との共同研究 | 推測 |
| 将来は複数の量子コンピュータをつなぐことで規模を伸ばす | Ciscoとの共同検討(2025年11月)、Blue Jay以降は分散量子コンピューティングで拡大するというロードマップの記載 | 事実(計画の存在) |
IBMは2025年11月に「量子チップの主な製造を300ミリ工場へ移した」と発表し、2026年5月に「その工場事業を別会社Anderonとして切り出す」と発表しました。 Anderonは「IBMを含む複数の量子ハードウェア企業向け」のウェハー受託製造を掲げています 事実。 自社の量子コンピュータに必要なウェハーの製造能力を、外部の顧客も使う専業会社にして規模を確保し、米国政府の助成も受けるという形です。 半導体の世界で「自社工場」が「ファウンドリ(受託製造会社)」に分かれていった流れと似ています。 ここから、IBMは「量子ビットの設計」と「量子ビットを作る製造」を分け、どちらでも主導権を取りにいっていると本稿は読みます 未確定/将来。
9. 量子コンピュータ分野の提携マッピング
10. 提供している技術・製品・サービス
IBMの量子の商品は、「チップ」「それを動かす装置」「クラウド」「ソフト」「会員ネットワーク」「ウェハー製造」の6層に分けると見通しがよくなります。
| 層 | 内容(確認日 2026年10月16日) | 状況 |
|---|---|---|
| 量子チップ | Heron(156量子ビット)、Nighthawk(120量子ビット)。性能は第5章の表のとおり(会社公表・条件つき) | 稼働・提供 |
| 量子コンピュータ本体 | IBM Quantum System One・System Two。クラウド経由に加え、顧客の施設へ設置する形(理化学研究所、東京大学、Cleveland Clinic、バスク政府ほか)。会社は設置台数を「90台以上」と説明 | 稼働(会社の公表値) |
| クラウド | IBM Quantum Platform。2016年5月に始めたクラウド公開の後継。無料の「Open Plan」のアカウントで回路を実行できると公式発表に記載 | 提供 |
| ソフト | Qiskit(オープンソースの量子プログラミング用ソフト)。会社は「量子開発者の約70%が使用」「これまでに4兆回路を実行」と説明。2025年11月にはHPC環境から使うためのC言語のAPIとC++のインターフェースを追加 | 提供(利用率は会社の説明) |
| 会員ネットワーク | IBM Quantum Network。金融・医療・材料・大学・政府の340超の組織が参加(会社の公表値) | 稼働 |
| HPC連携 | 2026年3月、量子プロセッサ(QPU)をGPU・CPUと組み合わせて使う「量子中心スーパーコンピューティング」の参照アーキテクチャを公開 | 公開(設計資料) |
| ウェハー製造 | Anderon。超伝導量子ビットと周辺回路のウェハーの受託製造。2026年9月16日の時点で「最初の量子ウェハーが製造ラインを流れている」と発表。顧客の数・売上は確認できなかった | 立ち上げ段階 |
IBMが2025年11月に公表した大きな変化は、量子チップの主な製造を、ニューヨーク州オルバニーの300ミリ(直径300mmのシリコンウェハー)の半導体工場へ移したことです 事実。会社は、新しいチップの試作にかかる時間を半分以下にし、チップの物理的な複雑さを10倍にしたと説明しています。 超伝導の量子ビットは、ウェハー上に超伝導体の薄膜で回路を描いて作るため、「薄膜の質」と「工場の回し方」がそのまま性能と開発速度になるのが特徴です。 2026年のAnderonの資料には、超伝導配線、シリコン貫通ビア(ウェハーを貫く電気の通り道)、バンプ(チップ同士をつなぐ小さな接点)、工程設計キット、ウェハー上での検査が挙がっています。
量子ビットの数が増えるほど、配線を逃がす「多層化」と「チップ間の接続」が必要になります。 Loonが「cカプラー」と呼ぶ長距離の結合(チップ上の離れた量子ビットをつなぐ層)や、Cockatoo(2027年)以降の「Lカプラー」によるチップ間接続が、そのための仕組みです(いずれも計画または実験の段階)。 装置側では、2026年8月に2台の極低温モジュールを連結して15ミリケルビット未満まで冷やしたと発表されました。 1台あたりの真空容器に引ける配線の空間が、従来の主力機より最大12倍あるとされ、「配線を通す空間」を増やすことが冷凍機側の課題であることが分かります。 なお、量子ビットの材料(どの超伝導体を使うか、基板は何か)は、確認した公式発表には書かれておらず、本稿は特定しません 未確定/将来。
11. この企業が抱えるリスク
ここに書くのは、公式資料に基づく事実と、本稿の読みです。特定の会社を評価したり、投資の判断材料を示したりするものではありません。
| リスク | 内容 | 区分 |
|---|---|---|
| ロードマップの遅れ | Kookaburra(2026年)、Cockatoo(2027年)、Starling(2029年)、Blue Jay(2033年以降)はすべて会社の計画。IBMは過去の計画を守ってきたと説明するが、第三者が確認したものではない | 未確定/将来 |
| 量子優位性の検証 | IBMは2026年7月に3件の優位性実証を発表した。2023年の例では、古典側がテンソルネットワークで同じ実験を再現した論文が出ている。2026年の3件は、10月16日時点で再現を主張する一次資料を確認できていないが、検証は今後続く | 事実(過去の経緯)/今後は未確定/将来 |
| 規模を広げる工学の難しさ | IBMの説明では、2台の極低温モジュールの連結に成功した段階。Starlingでは各モジュールに「数千量子ビット」を収める計画で、配線・冷却・チップ間接続を大きく伸ばす必要がある | 事実(現状の段階)/計画は未確定/将来 |
| 新事業Anderonの立ち上げ | CHIPS助成US$10億は2026年9月16日に最終合意。ただし「最初のウェハーが流れ始めた」段階で、IBM以外の顧客数・売上・助成の条件の詳細は、公式発表に記載がなく確認できなかった | 事実(段階)/詳細は確認できず |
| 買収した事業の統合 | HRLの買収は2026年8月26日に完了したばかり。買収額は非公表で、統合の成果を示す資料は確認できなかった | 事実(完了)/成果は未確定/将来 |
| 超伝導方式への集中 | IBMの主力は超伝導方式。他の方式(イオン・中性原子・光など)の会社も誤り訂正の実験を進めている。HRL買収はスピン方式にも手を広げる動きと読める。本稿は方式どうしの優劣をつけない | 推測 |
| 会社自身が挙げるリスク | 10-Kは「量子を含む新分野で革新を続け、規模と速度を持って商業化できなければ、市場シェアと利益率を維持できない可能性がある」と書いている | 事実 |
12. 用語集
- 量子ビット(qubit)
- 量子コンピュータの計算の最小単位。0と1の重ね合わせの状態を取れるが、壊れやすい。
- 物理量子ビット/論理量子ビット
- 装置上に実際にある量子ビットが物理、誤り訂正のために多数の物理量子ビットを束ねて作る間違えにくい仮想の量子ビットが論理。
- 超伝導量子ビット
- 極低温で電気抵抗がゼロになる金属の回路を量子ビットにする方式。IBMとGoogleが代表的。
- ゲート
- 量子ビットに行う基本の操作。2つの量子ビットをもつれさせる「2量子ビットゲート」が特に重要で、誤りも出やすい。
- 誤り訂正
- 量子ビットの間違いを検出して直す仕組み。多数の物理量子ビットで1つの論理量子ビットを作る。
- qLDPC符号
- 量子の誤り訂正符号の一種。離れた量子ビットどうしをつなぐ必要があるが、表面符号より少ない量子ビットで守れる(IBMの説明)。
- デコーダ(復号器)
- 誤り訂正で得た手がかりから、どこが間違ったかを高速に推定する古典コンピュータ側の処理。
- 量子優位性
- 量子コンピュータが、ある計算で古典コンピュータの最良の方法より優れた結果を出すこと。主張と反論の応酬が続く。
- 量子中心スーパーコンピューティング
- 量子コンピュータ(QPU)をGPU・CPUなどの古典計算と組み合わせて使う考え方(IBMの用語)。
- ファウンドリ
- 他社のチップを受託して製造する工場。Anderonは量子チップ専業のファウンドリをめざす。
- CHIPS法
- 米国の半導体製造・研究への助成を定めた法律(CHIPS and Science Act)。Anderonへの助成はこれに基づく。
- DARPA QBI
- 米国防高等研究計画局の量子ベンチマーク計画。有用な誤り耐性量子コンピュータが2033年までに作れるかを段階的に検証する。
- ミリケルビット(mK)
- 絶対零度に近い温度の単位。15mKは約−273.135℃。希釈冷凍機という装置で冷やす。
- Qiskit
- IBMが開発するオープンソースの量子プログラミング用ソフト。
13. 出典
- IBM Form 10-K for the fiscal year ended December 31, 2025(米国SEC提出、2026年2月24日)。リスク要因、会社概要、売上高・研究開発費。 https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/51143/000005114326000010/ibm-20251231.htm
- IBM 2025 Annual Report to Stockholders(10-Kの別添Exhibit 13)。従業員数、量子に関する経営の説明、研究開発費の説明。 https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/51143/000005114326000010/ibm-20251231_d2.htm
- IBM Form 10-Q for the quarter ended June 30, 2026(2026年7月23日提出)。Anderonと量子への投資の記載、研究開発費の説明。 https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/51143/000005114326000078/ibm-20260630.htm
- IBM Newsroom IBM and U.S. Department of Commerce Announce America’s First Purpose-Built Quantum Foundry, Supported by Proposed $1 Billion CHIPS Award(2026年5月21日)。 https://newsroom.ibm.com/ibm-and-u-s-department-of-commerce-announce-americas-first-purpose-built-quantum-foundry
- IBM Newsroom IBM Commits More Than $10 Billion to Quantum Computing(2026年6月2日)。100億US$超の投資計画、Starling・Blue Jay、11億US$超の契約、90台超の設置、340超のネットワーク。 https://newsroom.ibm.com/2026-06-02-ibm-commits-more-than-10-billion-to-quantum-computing,-funding-its-roadmap-from-todays-leading-systems-to-the-worlds-first-fault-tolerant-quantum-computers
- Anderon Anderon Finalizes Agreement with U.S. Department of Commerce for USD 1 Billion in CHIPS Incentives(2026年9月16日)。 https://www.anderon.com/blog/anderon-finalizes-agreement
- IBM Newsroom IBM to Acquire HRL Laboratories to Power the Future of Quantum(2026年7月23日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-07-23-ibm-to-acquire-hrl-laboratories-to-power-the-future-of-quantum
- IBM Newsroom IBM Completes Acquisition of HRL Laboratories(2026年8月26日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-08-26-ibm-completes-acquisition-of-hrl-laboratories-to-accelerate-the-future-of-quantum
- IBM Newsroom IBM Delivers New Quantum Processors, Software, and Algorithm Breakthroughs(2025年11月12日)。Nighthawk、Loon、復号、300mm製造。 https://newsroom.ibm.com/2025-11-12-ibm-delivers-new-quantum-processors,-software,-and-algorithm-breakthroughs-on-path-to-advantage-and-fault-tolerance
- IBM Quantum IBM lays out clear path to fault-tolerant quantum computing(公式ブログ、2025年6月10日)。Starling、gross code、Relay-BP、ロードマップ。 https://www.ibm.com/quantum/blog/large-scale-ftqc
- IBM Technology Atlas Quantum 2026(量子ロードマップ、2026年3月更新)。 https://www.ibm.com/roadmaps/quantum/2026/
- IBM Technology Atlas Quantum Roadmap(Starling 2029、Blue Jay 2033年以降)。 https://www.ibm.com/roadmaps/quantum/
- IBM Newsroom IBM Connects Its First Modular Cryogenic Systems(2026年8月19日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-08-19-ibm-connects-its-first-modular-cryogenic-systems-in-milestone-toward-fault-tolerant-quantum-computing
- IBM Quantum IBM Quantum Nighthawk r2—more circuits, faster(公式ブログ、2026年8月31日)。 https://www.ibm.com/quantum/blog/nighthawk-r2
- IBM Newsroom IBM and The University of Chicago Demonstrate Quantum Advantage(2026年7月30日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-07-30-ibm-and-the-university-of-chicago-demonstrate-quantum-advantage,-establishing-trusted-quantum-computation-on-logical-circuits
- IBM Quantum Quantum advantage(公式ブログ、2026年7月30日)。シカゴ大学・Qedma・Algorithmiqの3件の説明。 https://www.ibm.com/quantum/blog/quantum-advantage
- IBM Newsroom IBM Advances to Stage C of DARPA Quantum Benchmarking Initiative(2026年10月7日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-10-07-ibm-advances-to-stage-c-of-darpa-quantum-benchmarking-initiative
- IBM Newsroom IBM Advances to Next Phase of DARPA Quantum Benchmarking Initiative(Stage B、2025年11月6日)。 https://newsroom.ibm.com/2025-11-06-ibm-advances-to-next-phase-of-darpa-quantum-benchmarking-initiative
- IBM Newsroom IBM and RIKEN Unveil First IBM Quantum System Two Outside of the U.S.(2025年6月23日)。Heronの誤り率・CLOPS。 https://newsroom.ibm.com/2025-06-23-ibm-and-riken-unveil-first-ibm-quantum-system-two-outside-of-the-u-s
- IBM Newsroom IBM and AMD Join Forces to Build the Future of Computing(2025年8月26日)。 https://newsroom.ibm.com/2025-08-26-ibm-and-amd-join-forces-to-build-the-future-of-computing
- IBM Newsroom IBM and Cisco Announce Plans to Build a Network of Large-Scale, Fault-Tolerant Quantum Computers(2025年11月20日)。 https://newsroom.ibm.com/2025-11-20-ibm-and-cisco-announce-plans-to-build-a-network-of-large-scale,-fault-tolerant-quantum-computers
- IBM Newsroom IBM: A Decade of Quantum on the Cloud(2026年5月4日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-05-04-ibm-a-decade-of-quantum-on-the-cloud
- IBM Newsroom IBM Releases a New Blueprint for Quantum-Centric Supercomputing(2026年3月12日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-03-12-ibm-releases-a-new-blueprint-for-quantum-centric-supercomputing
- IBM Newsroom IBM and ETH Zurich Join Forces to Shape the Future of Algorithms for the AI and Quantum Era(2026年3月31日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-03-31-IBM-and-ETH-Zurich-join-forces-to-shape-the-future-of-algorithms-for-the-AI-and-quantum-era
- IBM Newsroom The MIT-IBM Computing Research Lab Launches(2026年4月29日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-04-29-the-mit-ibm-computing-research-lab-launches-to-shape-the-future-of-ai-and-quantum-computing
- IBM Newsroom IBM and the University of Illinois Urbana-Champaign Expand Discovery Accelerator Institute(2026年4月16日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-04-16-ibm-and-the-university-of-illinois-urbana-champaign-expand-discovery-accelerator-institute-to-advance-ai-and-quantum-computing
- IBM Newsroom The University of Tokyo to Equip IBM Quantum System One with Heron(2025年5月15日)。 https://newsroom.ibm.com/2025-05-15-the-university-of-tokyo-to-equip-ibm-quantum-system-one-with-most-performant-ibm-heron-processor
- IBM Newsroom Oak Ridge National Lab, Cleveland Clinic, and IBM Achieve First-Known Computations of Fusion Materials on a Quantum Computer(2026年7月6日)。 https://newsroom.ibm.com/2026-07-06-oak-ridge-national-lab,-cleveland-clinic,-and-ibm-achieve-first-known-computations-of-fusion-materials-on-a-quantum-computer
- Bravyi ほか High-threshold and low-overhead fault-tolerant quantum memory. Nature 627, 778–782(2024)。DOI 10.1038/s41586-024-07107-7。 https://doi.org/10.1038/s41586-024-07107-7
- Kim ほか Evidence for the utility of quantum computing before fault tolerance. Nature 618, 500–505(2023)。DOI 10.1038/s41586-023-06096-3。 https://doi.org/10.1038/s41586-023-06096-3
- Tindall ほか Efficient Tensor Network Simulation of IBM’s Eagle Kicked Ising Experiment. PRX Quantum 5, 010308(2024)。DOI 10.1103/PRXQuantum.5.010308。 https://doi.org/10.1103/PRXQuantum.5.010308
- Quantum Advantage Tracker 量子優位性の候補を公開・検証する共同プロジェクト(IBM、Algorithmiq、Flatiron Institute、BlueQubit、RIKENなどが参加)。 https://quantum-advantage-tracker.github.io/
- IBM Quantum IBM Quantum 公式サイト(ロゴの取得元)。 https://www.ibm.com/quantum
14. 主張と出典の対応表
最終更新:2026年10月16日/Troy Technical
本稿の数値は、IBMが米国証券取引委員会(SEC)に提出した法定開示書類、IBMおよびAnderonの公式発表、査読論文に基づきます。量子優位性・ロードマップ・性能値は会社の主張・計画であり、第三者による最終確認ではありません。調査会社の推計値・報道ベースの数値は使用していません。「推測」と記した箇所は、一次情報から本稿が読み取った解釈であり、会社の公表内容ではありません。確認日は2026年10月16日です。
