🌐 This site is also available in English Visit English Site →
🌐 English

IBM 企業解説

← マテリアルインフォマティクスの解説一覧へ戻る

COMPANY PROFILE / マテリアルインフォマティクス

IBM
― 材料向けAIを「オープンな基盤モデル」として公開し、パートナーと使い込む研究型の取り組み

IBMは全社としてはクラウドと企業向けAIが主力で、2025年12月期のForm 10-Kと年次報告書に、本稿が確認した範囲では材料発見に関する記述は見当たりません。それでも本シリーズで取り上げるのは、研究部門のIBM Researchが化学・材料向けの基盤モデルを複数、Apache-2.0ライセンスでGitHubとHugging Faceに公開しているからです。公開モデルを電池の電解液探索に使い、16配合を実際に測って7配合が基準を超えたとする論文(プレプリント)もあります。

本稿はIBM全体ではなく材料向けAI研究に絞り、何を公開し、誰と組み、何がまだ確認できないかを整理します。「基盤モデル」「分子の表現」などの用語は、初めて出てくる場所で短く説明します。

構成:IBMの米国SEC提出書類(2026年2月提出のForm 10-Kと年次報告書)、IBM Researchの公式ブログ、公開モデルのカード(Hugging Face)、論文、JSRの公式発表を一次情報として使用/最終更新 2026年10月22日

この記事でわかること
  1. 30秒でわかるIBMと、マテリアルインフォマティクスでの立ち位置
  2. ロゴと社名の表記について
  3. マテリアルインフォマティクスの世界で、この会社はどこにいるか
  4. 会社の規模(全社は簡潔に)
  5. マテリアルインフォマティクスにかけているリソース
  6. これまでの取り組み
  7. 今後の計画
  8. この会社はマテリアルインフォマティクスで何を目指しているか
  9. マテリアルインフォマティクス分野の提携マッピング
  10. 提供している技術・製品・サービス
  11. この企業が抱えるリスク
  12. 用語集
  13. 出典
  14. 主張と出典の対応表

1. 30秒でわかるIBMと、マテリアルインフォマティクスでの立ち位置

正式名称International Business Machines Corporation通称 IBM
本社米国ニューヨーク州アーモンクOne New Orchard Road
上場NYSE: IBM2026年2月提出のForm 10-Kより
MIでの類型基盤モデル・計算基盤
(主)
従:自動実験(RoboRXN)。現状は確認できず
材料向けの主な成果化学・材料向けの
オープン基盤モデル群
FM4M(Foundation Models for Materials)
公開の形Apache-2.0GitHubとHugging Faceで公開
実験での確認電解液16配合を実測7配合が10 mS/cm超(プレプリント記載・研究チームの報告)
主な提携JSR/AI Alliance2025年11月にAI共同研究で合意(JSR発表)
まず押さえるべき1点

マテリアルインフォマティクス(MI)とは、材料のデータを集め、AIや計算で性質を予測・設計し、実験で確かめるという流れで新しい材料を探す方法です。IBMはこの流れのうち、「予測・設計」に使うAIモデルを作って無償で公開する側にいます 事実。製品として売る形ではなく、研究部門が作ったモデルを公開し、JSRのような材料企業との共同研究で使い込む進め方が、公開資料から読み取れます(推測は第8章)。

ただし、IBM全体の事業規模と、材料向けAI研究の規模は別物です。IBMは材料向けAI研究の人員・予算・売上を公表していません 未確定/将来。

2. ロゴと社名の表記について

表記の注意:法人名は International Business Machines Corporation で、略称が IBM。材料向けAIの研究を担うIBM Researchは別法人ではなく、IBMの研究部門です。本稿では、会社全体を「IBM」、研究部門を「IBM Research」と書き分けます。

モデル名の表記:IBMの公式ブログは SMILES-TED と書き、モデルカードと論文は SMI-TED と書きます。同じモデルを指すとみられ、本稿はモデルカードと論文の表記(SMI-TED)に合わせます。

公式サイト:https://www.ibm.com/

3. マテリアルインフォマティクスの世界で、この会社はどこにいるか

マテリアルインフォマティクスに関わる企業の4つの類型 同じ「MIの会社」でも、データ→設計→実験のどこを担うかで、強みと課題が違う 基盤モデル・計算基盤 MIソフト・材料AI 自動実験・ロボット 応用する側 データと計算でAIを作る 解析ソフトと材料AI ロボットで実験を回す 電池・化学・半導体など Google DeepMind/Microsoft Meta/NVIDIA Citrine/Schrödinger Preferred Networks/CuspAI Chemspeed/Radical AI Periodic Labs/Lila Sciences SES AI/Mitsui Chemicals Applied Materials 大規模な計算と人材 使いやすさとデータ 実験を回す速度 実際の材料と市場 実験での検証は他者頼み 顧客のデータ次第 設備費と再現性 内製の人材とデータ不足 IBMは左端の「基盤モデル・計算基盤」。材料向けのAIモデルを、研究部門がオープンに公開している 主な担当は「予測・設計」。自社の材料データ事業や実験設備の規模は、公開資料では確認できなかった
図1 マテリアルインフォマティクスに関わる企業の4類型と、IBMの位置づけ。区分は本稿によるもので、企業名は本シリーズで扱う企業から例示しています 本稿の計算。IBMの材料向けモデルが公開されていること、実験で確かめたのは電解液の論文であることは、公式ブログ・モデルカード・論文に基づきます。

MIの会社は、同じ「AI」でも、データ集め→予測・設計→実験で確かめるのどこを担うかで性格が変わります。IBMの位置を、この流れの上に置くと次のとおりです。

IBMはMIの流れのどこを担うか 主な担当は「予測・設計」。データと実験は、公開データと論文での実測が中心 ① データを集める ② 予測・設計する ③ 実験で確かめる 公開データで学習 PubChem・Zinc-22・ Materials Project系 自社の材料データ基盤は 確認できなかった 基盤モデル群(FM4M) SMI-TED/SELFIES-TED MHG-GED/MoL-MoE pos-egnn/Geodite Apache-2.0で公開 電解液の実測(論文) 16配合を室温で測定 RXN/RoboRXN(2021) 現状は確認できず IBMの主な担当は「② 予測・設計」。① は公開データ、③ は論文での実測が中心 自社の実験設備や、材料データを集める事業の規模は、公開資料では確認できなかった 主に担う 一部・確認できた範囲
図解 IBMがMIの流れ(データ→予測・設計→実験)のどこを担うか。区分は本稿が公開資料から整理したもの 本稿の計算。学習データは出典3・5・9、実測は出典15による。

MIそのものの考え方は、本シリーズの技術解説「マテリアルインフォマティクス概論」を、分子を機械に読ませる方法は「材料データと記述子」「グラフニューラルネットワーク」を参照してください。

4. 会社の規模(全社は簡潔に)

IBM全体の規模だけを押さえます 事実。

指標2024年12月期2025年12月期
売上高(百万US$)62,75367,535
研究開発費(百万US$)7,4798,316
項目内容
従業員(2025年12月31日)IBMおよび完全子会社 264.3千人(非完全子会社 8.7千人、補完的労働力 13.8千人は別掲)
本社所在地米国ニューヨーク州アーモンク(自社保有の敷地)
上場市場ニューヨーク証券取引所(NYSE)
ここで注意

上の数字は会社全体のものです。材料向けAI研究の事業規模を示す数字ではありません。研究開発費8,316百万US$は全社のもので、年次報告書は増加の理由を「AI・ハイブリッドクラウド・量子への投資など」と説明しており、材料向けの内訳は示していません。IBMは材料向けAI研究の売上・投資額・専任人員数をいずれも公表していません 未確定/将来。

5. マテリアルインフォマティクスにかけているリソース

金額と人数は非公表ですが、公式資料から何を投じているかは読み取れます。確認できなかった項目は「記載なし」と書きます。

リソースの種類内容区分
人材料向けAI研究の専任人数は非公表。FM4Mの共同リーダーは Seiji Takeda 氏(principal scientist)と Emilio Vital Brazil 氏(senior scientist)と公式ブログに記載。研究拠点としては、東京(JSRの発表にIBM Research – Tokyoのディレクターが登場)とチューリッヒ(2021年のRXN発表とIBM Research Europeを名乗る2022年のブログ)が公式資料に現れる事実(人数は非公表)
金全社の研究開発費は8,316百万US$(2025年)。材料向けAI研究の予算・設備投資・計算資源の投資額は非公表事実(内訳は非公表)
外部への出資・買収・合弁・事業売却Form 10-Kと年次報告書に、材料向けAIに関する出資・買収・合弁・売却の記載は見当たらなかった確認できず
大学・研究機関・公的資金との連携AI Allianceの材料・化学の作業部会(WG4M)に、企業・大学など約20の参加者(公式ブログ、2024年12月時点)。JSRとAIの共同研究プログラムで合意(2025年11月)。DOE・NSF・NEDOなどの公的資金は、本稿が確認した資料には記載なし事実(公的資金は確認できず)

主要なモデル・製品の状況

IBM Researchが公開している材料・化学向けの主なモデルです。日付はHugging Face/GitHubでのリポジトリの作成日(公開の開始日とは限りません)か、論文の日付です。性能の数字は会社・研究チームの主張で、本稿は再現していません。

名称種別主な仕様(公表された学習データ・対象)公開の形・ライセンス段階日付出典
SMI-TED化学言語モデル(エンコーダ・デコーダ)PubChem由来のSMILES約9,100万件(約40億トークン)で学習。289Mと8×289Mの2種。論文は「ベンチマークで既存手法に並ぶか上回る」と報告Apache-2.0。重みを公開公開HF 2024年7月25日/論文 2025年7月1日出典5・14
SELFIES-TED化学言語モデル(SELFIES表現)公式ブログは約10億件のSELFIESで学習と記載(学習データの出所の記述は下の注)Apache-2.0公開HF 2024年10月25日出典7・3
MHG-GED分子グラフのモデルPubChem由来の約134万分子で学習(ブログは約140万)Apache-2.0公開HF 2024年10月25日出典6・3
MoL-MoE3種類の表現を混ぜる混合専門家(MoE)SMILES・SELFIES・分子グラフ各4専門家、計12専門家。MoleculeNetの分類・回帰で単一表現のモデルを上回ったとIBMが報告(分割・指標の数値はブログに記載なし)Apache-2.0公開HF 2025年6月12日出典8・3
pos-egnn原子の位置を扱うグラフモデル(基盤モデル)Materials Project Trajectory(MPtrj)の約140万サンプル(90%)で、エネルギー・力・応力を学習Apache-2.0公開HF 2025年3月21日出典9
Geodite汎用の機械学習原子間ポテンシャルの構造テンソル積を使わずに計算を軽くする設計。MPtrjで学習した Geodite-MP の使い方を掲載。モデルカードの引用欄は「TODO」で、論文は確認できなかったApache-2.0公開(論文は未確認)HF 2025年11月3日出典10
STR-Bamba多様な分子の文字表現を扱うエンコーダ・デコーダ5.88億サンプル(約290億トークン)で学習。SMILES・SELFIES・分子式・InChI・IUPAC名・高分子SMILES・配合などに対応Apache-2.0公開HF 2025年12月11日出典11
GT4SD生成モデルのツールキット分子や材料の候補を生成するオープンソースの道具箱MIT公開GitHub作成 2022年2月11日出典13・4
RXN for Chemistry/RoboRXN反応予測のAIと、ロボットで合成するクラウド実験2021年の発表では、2018年開始、利用者2.9万人超、反応予測500万件超、順方向予測の正解率90%超(会社の主張)。2026年の稼働状況は確認できなかった提供形態は確認できなかった2021年時点の記載2021年11月出典18
学習データの出所についての注

公式ブログは、SMILES-TEDとSELFIES-TEDを「PubChemとZinc-22から」学習したと書いています。一方、SMI-TEDの論文とモデルカードはPubChem由来の9,100万件と書いており、Zinc-22には触れていません。細部が食い違う可能性があるため、本稿はモデルごとの一次資料(論文・モデルカード)を優先し、ブログの記述は「ブログによる」と明示しました。

6. これまでの取り組み

時期できごと意味
2018年RXN for Chemistry(反応予測のAI)を開始(2021年の発表資料)材料というより、化学合成の分野から始まった取り組み
2021年11月RoboRXNなどでAtinary・Arctoris・Chemspeed Technologies・Syngenta・Thieme Chemistryとの連携を発表合成の自動化・反応データ・実験装置との接続。現状は確認できず
2022年6月公式ブログで、CO2分離膜用モノマーのAI逆設計、電池電解液の高スループット計算などを紹介モノマーの性能は分子動力学の計算上の見積もりで、実験での確認ではないとブログ自身が区別
2024年春IBMとJSRが、AI Allianceで材料・化学の作業部会(WG4M)を発足(公式ブログ)企業・大学約20の参加者で、基盤モデル・データセット・ベンチマークを作る
2024年7月FM4Mの公開を開始(GitHubリポジトリ作成 7月24日、SMI-TEDのHugging Face登録 7月25日)材料向けモデルのオープン公開の始まり
2024年10月SELFIES-TED、MHG-GEDを公開3種類の分子表現がそろった
2024年12月20日公式ブログで、数か月で10万回超のダウンロードと発表会社の主張。ダウンロード数は利用や成果を直接示すものではない
2025年3月電解液探索のプレプリントを公開(pos-egnnも公開)公開モデルを実際の材料探索に使った例
2025年7月1日SMI-TEDの論文がCommunications Chemistryに掲載査読を経た論文での性能報告
2025年8月30日電解液探索の論文(IBMの刊行物ページは掲載誌を npj Computational Materials と表示)雑誌版の本文は本稿では未確認
2025年11月JSRとIBMがAI共同研究プログラムで合意(11月4日)。Geodite(11月3日)、STR-Bamba(12月11日)を公開共同研究は発表の段階。成果の記載はない

7. 今後の計画

JSRとの共同研究AI共同研究プログラム材料の複数の系を同時に扱うプラットフォームを目指す(JSR発表)
モデルの拡張原子の3D位置などを
扱うモデルを追加
2024年12月のブログが「今後1年で」と計画。原子位置のpos-egnnは2025年に公開済み
材料向け製品化確認できなかった有償製品・サービスとしての提供計画の記載なし
次期モデルの公開日確認できなかったロードマップの記載なし

JSRの発表は、IBMと共同で「拡張した材料向け基盤モデル」と「生成AIで作るデータ基盤」を使い、複数の材料系を同時に扱えるプラットフォームを作る、という方向を述べています 未確定/将来。資金・期間・成果指標の記載はありません。

公式ブログ(2024年12月)は、「今後1年で、新しい融合手法と、原子の3D位置を含む新しいデータ形式のモデルを公開する計画」と書いています 未確定/将来。このうち原子位置を扱うpos-egnnは、Hugging Faceの記録では2025年3月に登録されています 事実。

確認できなかったこと

次はいずれも、本稿が確認した公式資料に記載がありません 未確定/将来。

材料向けAI研究の予算・人員/材料向けモデルの次回の公開日/材料向けAIの有償サービス化/JSRとの共同研究の期間・成果物/RoboRXNの現在の提供状況。「IBMが○年に材料向け製品を出す」といった報道ベースの話は、本稿では採用しません。

8. この会社はマテリアルインフォマティクスで何を目指しているか

ここは会社が直接には述べていない部分を含みます。一次情報から読み取れる範囲の推測として、根拠とともに書きます。

読み取れること根拠となる一次情報区分
材料向けAIは、製品ではなく研究成果のオープン公開が中心モデルがApache-2.0でGitHubとHugging Faceに公開されている。10-Kと年次報告書に材料発見の記載がなく、有償提供の記載も確認できない推測
パートナー企業との共同研究で使い込む進め方JSRとのAI共同研究プログラム、AI AllianceのWG4M(企業・大学約20)推測
少ないデータでの微調整が実用の主眼ブログは「少量のデータで誰でも自分の用途に合わせられる」と説明。電解液の例では13,666件の測定値で微調整推測
複数の分子表現を混ぜて使う方針を技術の柱にしているSMILES・SELFIES・分子グラフの3モデルとMoL-MoE、STR-Bambaでの多表現対応事実
原子の位置を直接扱う機械学習原子間ポテンシャルにも広げているpos-egnn(2025年3月)とGeodite(2025年11月)の公開。論文はGeoditeでは未確認推測
推測の根拠を1つだけ詳しく

電解液の探索では、公開モデル(SMI-TED)を13,666件の文献データで微調整し、約10万件の候補を計算で絞り、16配合を実測しています 事実。大量のデータを持つ企業だけでなく、少量の自社データで自分の用途に合わせられることを、公開モデルの価値として示す構成です。ここから、IBMは「材料企業が自分のデータでモデルを育てる土台」を提供する立ち位置を狙っている、と本稿は読みます 未確定/将来。

9. マテリアルインフォマティクス分野の提携マッピング

IBMを中心とした材料向けAIの提携関係 IBMの公式資料、JSRの発表、モデルカードに記載のある関係のみ。報道ベースの関係は含まない IBM IBM Research JSR AI共同研究に合意(2025年11月) WG4Mの共同発足(2024年春) AI Alliance WG4M 企業・大学 約20の参加者 基盤モデル・データ・評価 GitHub/Hugging Face モデルをApache-2.0で公開 公開先(会社ではなく場) Syngenta RXN技術を材料発見の 流れに導入(2021年) Chemspeed Technologies RoboRXNを自社の合成 自動化装置と併せて提供(2021年) Thieme Chemistry 合成データをRXNに 取り込み(2021年) Atinary/Arctoris(2021年の連携) 共同開発・導入の相手 データ・公開の場の提供
図2 IBMを中心とした材料向けAIの提携関係。出典:JSRのニュースリリース、IBM Researchの公式ブログ、IBMのニュースルーム(2021年11月)。2021年の連携(Syngenta・Chemspeed・Thieme・Atinary・Arctoris)は当時の発表で、現在も続いているかは確認できませんでした。

10. 提供している技術・製品・サービス

分子をAIに読ませる3つの方法

AIに分子を学習させるには、まず分子をコンピュータが読める形に直す必要があります。IBMはこの「表し方」ごとに別々のモデルを作り、あとで混ぜる方針です(公式ブログによる)。

表し方どんなものか得意なこと弱い点(公式ブログの説明)
SMILES(スマイルズ)分子を1行の文字列で書く方式(例:エタノールは CCO)文字列なので、言語モデルの技術をそのまま使える。巨大なデータベースがある3次元の情報が失われ、AIが成り立たない分子を作ることがある
SELFIESSMILESを改良した文字列。文法的に常に有効な分子になる壊れた分子が出にくいやはり3次元の情報は持たない
分子グラフ(MHG)原子を点、結合を線にしたもの原子のつながり方を直接扱える計算が重い

3種類のモデル(SMI-TED/SELFIES-TED/MHG-GED)は、それぞれの表現で別々に事前学習されています。MoL-MoEは「混合専門家(MoE)」という仕組みで、質問ごとに最も向いた専門家を選んで答えを混ぜます。公式ブログによれば、この3表現を混ぜたモデルは、MoleculeNet(スタンフォード大学が作った分子特性予測のベンチマーク)の分類(例:毒性の有無)と回帰(例:水への溶けやすさ)で、単一の表現のモデルを上回ったとのことです。ただし、ブログにはデータの分割方法・指標・数値が書かれていないため、本稿はこの比較を会社の主張として扱い、順位づけはしません。

公開モデルで電解液を探した例

IBMの研究チームは、公開モデル(SMI-TED)を電池の電解液に使いました(プレプリントv2の記載。研究チームの主張です)。

モデルで絞り込み、実際に測って確かめる 数字はプレプリント(arXiv:2503.14878 v2)の記載。研究チームの主張 ① 微調整 文献の測定値 13,666件で SMI-TEDを学習 (目的:イオン伝導率) ② 候補を計算 塩1種+溶媒 最大5種の組み合わせを 約10万件つくり、 伝導率を予測 ③ 実測 予測の高い16配合を 室温で測定 (購入できる 分子に限定) ④ 結果 16配合のうち 7配合が10 mS/cm超 LiFSI系の最高: 19.14 mS/cm (予測は10.52) 予測で絞った候補を実測で確かめる、という流れ。モデルの予測値は、最良の配合では実測より低かった(過小評価) 評価したのは室温のイオン伝導率。電池としての寿命・安全性・コストの評価は、確認したプレプリントの範囲では記載がない
図解 IBMの電解液探索の手順(プレプリントによる)。「10 mS/cm」の基準は、1 M LiPF6のEC/DMC/EMC(体積比1:1:1)溶液の伝導率にそろえたもの。実測は研究チーム自身が行い、独立した第三者による再現は確認できなかった。

報告された数字は次のとおりです 事実(すべて研究チームの報告)。

項目プレプリントの記載読むときの注意
微調整のデータ文献から集めた13,666件のイオン伝導率の測定値(非水系のリチウム電池向け電解液)測定条件が文献ごとに違うデータの寄せ集め
候補の数計算で作った約10万件の配合を、微調整したモデルで予測これは計算上の予測。実験ではない
実測した数16配合を選び、室温でイオン伝導率を測定選び方は「予測が高い配合」と塩の多様性
基準を超えた数16配合のうち7配合が10 mS/cm超(成功率44%)基準は1 M LiPF6のEC/DMC/EMC溶液の伝導率
LiFSI系の最良19.14 mS/cm。文献データの最良より82%高い。モデルの予測は10.52 mS/cmで、過小評価「最良」は同じ文献データセット内での比較
LiDFOB系文献の最良より172%高い配合を得た個別の値は本稿では確認していない
素材技術者の視点:自社の少量データで試すときの読みどころ

この例で素材技術者に関わる点は3つです 事実。(1) 予測と実測の差:最良の配合で、予測は10.52、実測は19.14 mS/cmと大きく食い違っています。論文は「傾向の検証はできた」と書いていますが、数値そのものの当てにはならない、という意味でもあります。(2) 評価する項目の狭さ:測ったのはイオン伝導率だけで、電池の寿命、安全性、電極との相性、コストは別の問題です。伝導率が高い配合が、そのまま使える電解液とは限りません。(3) データの質:学習に使った13,666件は文献からの寄せ集めです。自社のデータで同じことを試す場合、測定条件をそろえたデータが多いほど、予測と実測の差が小さくなる可能性があります(推測)。

あわせて、論文自身が「変数同士の相関はほとんど説明にならず、解釈のための手法が必要」と述べています。AIが選んだ理由を、人が化学として納得できるかは、まだ課題として残っています。

11. この企業が抱えるリスク

リスク内容区分
材料向けの体制・投資が見えない人員・予算・売上のいずれも非公表で、外部から進捗を確かめにくい事実
性能比較の条件が限られるMoL-MoEの比較は公式ブログに数値がなく、データの分割・指標が確認できない事実
実験での確認が一部に限られる確認された実測は、電解液のイオン伝導率(室温・16配合)が中心。独立した再現は確認できなかった事実
論文が追いつかないモデルがあるGeoditeはモデルカードの引用欄が「TODO」で、論文を確認できなかった事実
RoboRXNの現状が不明2021年の数字(利用者・予測数)以降の稼働状況は確認できなかった事実
共同研究は計画の段階JSRとの共同研究は発表の段階で、期間・成果物の記載がない未確定/将来
資料間の食い違いブログとモデルカード・論文で、学習データの出所の書き方が異なる事実
有償サービスへの道筋が見えないオープン公開が中心で、収益化の方針は確認できない推測

12. 用語集

マテリアルインフォマティクス(MI)
材料のデータとAI・計算を使い、新しい材料を探す方法。データ→予測・設計→実験の流れで進める。
基盤モデル
大量のデータで事前に学習させ、少量のデータで別の用途に合わせて使える大きなAIモデル。
微調整(ファインチューニング)
事前学習したモデルを、自分のデータで追加学習して用途に合わせること。
SMILES/SELFIES
分子を文字列で書く方式。SELFIESは壊れた分子が出にくい改良版。
分子グラフ
原子を点、結合を線で表した分子の表現。
エンコーダ・デコーダ
入力を数値の並び(埋め込み)に変える部分と、元に戻す部分でできたモデル。
混合専門家(MoE)
複数の「専門家」モデルから、状況に応じて向いたものを選んで使う仕組み。
機械学習原子間ポテンシャル
原子の位置からエネルギーと力を、量子計算より速く予測する機械学習モデル。
イオン伝導率
電解液がどれだけイオンを通しやすいかの指標。単位は mS/cm。
逆設計
欲しい性質から出発して、それを満たす分子や材料を探す方法。
MoleculeNet
分子の性質を予測するモデルを比べるための、公開のベンチマーク集。
Form 10-K
米国上場企業がSECに提出する年次報告書。
データ基盤、計算の道具、研究の作業手順を組み合わせる概念です。特定の装置や技術がすべての材料を解ける意味ではありません。
図3 概念画像(ImageGen生成)。データ基盤、計算の道具、研究の作業手順を組み合わせる概念です。特定の装置や技術がすべての材料を解ける意味ではありません。実在の製品・施設・測定結果ではありません。拡大模型、線・矢印・色は説明用です。

13. 出典

  1. IBM Form 10-K(2025年12月期、2026年2月24日提出)。本社所在地・上場市場・事業の概要。材料発見に関する記述の有無を確認。 https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/51143/000005114326000010/ibm-20251231.htm
  2. IBM 2025 Annual Report to Stockholders(上記Form 10-Kの添付書類 EX-13)。売上高・研究開発費・従業員数。 https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/51143/000005114326000010/ibm-20251231_d2.htm
  3. IBM Research 公式ブログ “Meet IBM’s new family of AI models for materials discovery”(2024年12月20日)。FM4Mの概要、学習データの規模、混合専門家(MoE)、AI AllianceのWG4M。 https://research.ibm.com/blog/foundation-models-for-materials
  4. IBM Research 公式ブログ “new sustainable materials”(2022年6月27日)。CO2分離膜・電池電解液・生分解性プラスチックなどでのAI活用と、計算結果と実験結果の区別。 https://research.ibm.com/blog/new-sustainable-materials
  5. IBM Research Hugging Face モデルカード materials.smi-ted(SMI-TED)。学習データ、モデルの大きさ、ライセンス(Apache-2.0)。 https://huggingface.co/ibm-research/materials.smi-ted
  6. IBM Research Hugging Face モデルカード materials.mhg-ged(MHG-GED)。学習データ、ライセンス。 https://huggingface.co/ibm-research/materials.mhg-ged
  7. IBM Research Hugging Face モデルカード materials.selfies-ted(SELFIES-TED)。 https://huggingface.co/ibm-research/materials.selfies-ted
  8. IBM Research Hugging Face モデルカード materials.mol_moe(MoL-MoE)。12個の専門家の構成。 https://huggingface.co/ibm-research/materials.mol_moe
  9. IBM Research Hugging Face モデルカード materials.pos-egnn(pos-egnn)。学習データ(MPtrj)、ライセンス。 https://huggingface.co/ibm-research/materials.pos-egnn
  10. IBM Research Hugging Face モデルカード materials.geodite(Geodite)。機械学習原子間ポテンシャルの構造。 https://huggingface.co/ibm-research/materials.geodite
  11. IBM Research Hugging Face モデルカード materials.str-bamba(STR-Bamba)。学習データの規模、対応する分子の表現。 https://huggingface.co/ibm-research/materials.str-bamba
  12. IBM GitHub IBM/materials(FM4M)。ライセンス(Apache-2.0)とリポジトリの記録。 https://github.com/IBM/materials
  13. GT4SD(IBM Research 由来) GitHub GT4SD/gt4sd-core。生成モデルのツールキット。ライセンス(MIT)。 https://github.com/GT4SD/gt4sd-core
  14. Soares ほか “An open-source family of large encoder-decoder foundation models for chemistry”, Communications Chemistry 8, 193(2025年7月1日、DOI 10.1038/s42004-025-01585-0)。 https://www.nature.com/articles/s42004-025-01585-0
  15. Zohair ほか “Chemical Foundation Model Guided Design of High Ionic Conductivity Electrolyte Formulations”, arXiv:2503.14878(2025年3月、v2)。電解液探索の手順と実測結果。 https://arxiv.org/abs/2503.14878
  16. IBM Research 上記電解液論文のIBM刊行物ページ。掲載誌を npj Computational Materials(2025年8月30日)と表示。 https://research.ibm.com/publications/chemical-foundation-model-guided-design-of-high-ionic-conductivity-electrolyte-formulations
  17. JSR ニュースリリース(2025年11月4日)。JSRとIBMがAIの共同研究プログラムを実施することで合意。 https://jsr.co.jp/jsr_e/news/2025/20251104.html
  18. IBM ニュースルーム “IBM Expands AI-Driven Materials Discovery Capabilities and Signs New Industry Collaborations”(2021年11月29日)。RXN for Chemistry・RoboRXNと提携先。 https://uk.newsroom.ibm.com/2021-11-29-IBM-Expands-AI-Driven-Materials-Discovery-Capabilities-and-Signs-New-Industry-Collaborations
  19. IBM 公式サイト(ロゴの取得元・会社概要の確認用)。 https://www.ibm.com/

14. 主張と出典の対応表

本文の主張区分出典
正式名称、本社所在地、上場市場事実出典1 https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/51143/000005114326000010/ibm-20251231.htm
売上高・研究開発費(2024・2025年)、従業員264.3千人事実出典2 https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/51143/000005114326000010/ibm-20251231_d2.htm
Form 10-Kと年次報告書に、本稿が確認した範囲で材料発見の記載がないこと事実出典1 https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/51143/000005114326000010/ibm-20251231.htm 出典2 https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/51143/000005114326000010/ibm-20251231_d2.htm
FM4Mのモデル群の名称・学習データの規模・公開の形(Apache-2.0)事実出典3 https://research.ibm.com/blog/foundation-models-for-materials 出典5 https://huggingface.co/ibm-research/materials.smi-ted 出典6 https://huggingface.co/ibm-research/materials.mhg-ged 出典7 https://huggingface.co/ibm-research/materials.selfies-ted 出典8 https://huggingface.co/ibm-research/materials.mol_moe 出典9 https://huggingface.co/ibm-research/materials.pos-egnn 出典10 https://huggingface.co/ibm-research/materials.geodite 出典11 https://huggingface.co/ibm-research/materials.str-bamba 出典12 https://github.com/IBM/materials
SMI-TEDが9,100万件のSMILES(PubChem由来)で学習され、Communications Chemistryに掲載されたこと事実出典14 https://www.nature.com/articles/s42004-025-01585-0 出典5 https://huggingface.co/ibm-research/materials.smi-ted
3種類の分子表現と、MoEによる混合、MoleculeNetでの比較(会社の主張)事実出典3 https://research.ibm.com/blog/foundation-models-for-materials
学習データの出所についてブログとモデルカード・論文の記述が異なること事実出典3 https://research.ibm.com/blog/foundation-models-for-materials 出典5 https://huggingface.co/ibm-research/materials.smi-ted 出典14 https://www.nature.com/articles/s42004-025-01585-0
電解液探索:13,666件・約10万件の予測・16配合の実測・7配合が基準超・LiFSI系19.14 mS/cm(研究チームの報告)事実出典15 https://arxiv.org/abs/2503.14878
電解液論文のIBM刊行物ページが掲載誌をnpj Computational Materials(2025年8月30日)と表示していること事実出典16 https://research.ibm.com/publications/chemical-foundation-model-guided-design-of-high-ionic-conductivity-electrolyte-formulations
JSRとIBMのAI共同研究プログラムの合意(2025年11月4日)と、その狙い事実出典17 https://jsr.co.jp/jsr_e/news/2025/20251104.html
AI AllianceのWG4M(IBMとJSRが2024年春に発足、約20の参加者)事実出典3 https://research.ibm.com/blog/foundation-models-for-materials
2021年のRXN・RoboRXNと連携先(Atinary・Arctoris・Chemspeed・Syngenta・Thieme)、利用者数などの数字事実出典18 https://uk.newsroom.ibm.com/2021-11-29-IBM-Expands-AI-Driven-Materials-Discovery-Capabilities-and-Signs-New-Industry-Collaborations
2022年のブログ:モノマーの性能は分子動力学の計算上の見積もりであること事実出典4 https://research.ibm.com/blog/new-sustainable-materials
GT4SDのライセンス(MIT)とリポジトリ作成日事実出典13 https://github.com/GT4SD/gt4sd-core
マテリアルインフォマティクスの3段階(データ→予測・設計→実験)のどこを担うかの整理本稿の計算本稿による整理(公開資料に基づく)
材料向けAI研究の売上・投資額・専任人員数未確定/将来いずれも非公表。本稿では推計もしない(本稿で確認した出典に記載なし)
材料向けAIに関する出資・買収・公的資金(DOE・NSF・NEDOなど)未確定/将来出典1・2に記載なし。本稿では存在しないとも断定しない
RoboRXNの2026年時点の提供状況、Geoditeの論文、次期モデルの公開日、有償サービス化の計画未確定/将来確認できなかった。本稿では推定しない
製品ではなく研究成果のオープン公開が中心という読み推測公開形態とForm 10-Kの記載からの本稿の解釈
パートナー企業との共同研究で使い込む進め方という読み推測JSRとの合意とWG4Mからの本稿の解釈
少ないデータでの微調整が実用の主眼という読み推測ブログの説明と電解液の例からの本稿の解釈
材料企業が自分のデータでモデルを育てる土台を狙っているという読み推測電解液の例からの本稿の解釈
収益化の方針が見えないというリスク推測公開形態からの本稿の解釈

最終更新:2026年10月22日/Troy Technical
本稿の数値は、IBMの米国SEC提出書類、IBM Researchの公式資料、公開モデルのカード、論文、JSRの公式発表に基づきます。調査会社の推計値・報道ベースの数値は使用していません。「会社・研究チームの主張」とした数字は、本稿が再現・検証したものではありません。「推測」と記した箇所は、一次情報から本稿が読み取った解釈であり、会社の公表内容ではありません。