🌐 This site is also available in English Visit English Site →
🌐 English

窒化シリコン導波路|光通信・フォトニクス 技術解説

技術・機関・企業解説の一覧へ戻る

TECHNOLOGY EXPLAINER

窒化シリコン導波路
― 1 m 引き回せる光の通り道は、成膜の温度と水素と応力で決まる

窒化シリコン(SiN、Si₃N₄)は、半導体工場ではおなじみの絶縁膜・保護膜です。 その同じ材料で光の通り道を作ると、損失が 1 m あたり 1 dB 前後という、他の集積材料では届かない低さになります。 ただしそのためには、1,000 ℃を超える熱処理で水素を追い出し、厚い膜の応力によるひび割れを防がなければなりません。 低損失の源泉も、使いにくさの原因も、成膜の側にあります。

構成:JePPIX ロードマップ、EPFL の Nature Communications 論文、UCSB の Light: Science & Applications 論文、Nature Communications の展望論文、TU Eindhoven の InP 集積解説を一次情報として使用/最終更新 2026年9月

暗い円形の基板の表面に、細く淡い線が何重にも巻いた渦巻きとして、反射の違いでうっすら見えている概念イメージ
概念図(AI生成イメージ)。「小さなチップの中に長い導波路を巻き込む」雰囲気を表現したものです。実際の導波路の本数・長さ・線幅、特定企業・研究機関の設計を示すものではありません。
この記事の構成
  1. 窒化シリコン導波路とは何か(3行でつかむ)
  2. なぜ SiN なのか ― 他の材料にない5つの性質
  3. 薄いコアと厚いコア
  4. 本稿の計算:損失を並べると、何桁違うか
  5. 成膜:LPCVD と PECVD、そして熱の予算
  6. 素材技術者の視点①:損失の正体は「水素」
  7. 素材技術者の視点②:厚くすると割れる ― 応力をどう逃がすか
  8. 用途 ― 何に使われているか
  9. 課題
  10. 用語集/参考資料/出典対応表
本記事の表記ルール

事実=公表資料・査読論文に記載のある内容(出典リンクあり)
本稿の計算=明示した前提をもとに本記事が算出した値
未確定/将来=計画・研究段階であり、量産実績が確認できていない事項
このほか、構造の整理や材料設計上の読み取りは「解説」として区別しています。 損失の値は研究論文の値(試作)とロードマップが示す範囲を書き分けます。

1. 窒化シリコン導波路とは何か(3行でつかむ)

窒化シリコン導波路とは、SiN の細い帯(コア)を SiO₂ で囲み、その中に光を閉じ込めて運ぶ光の通り道です。 EPFL の Liu ら(2021年)は、Si₃N₄ の材料屈折率を 2.0 としています事実。 SiO₂(約 1.44)より高く、シリコン(約 3.47)より低い、中くらいの屈折率の材料です(SiO₂・Si の値は後述の出典による)。

  • 何が得意か:JePPIX ロードマップ(2021年)は、SiN を集積プラットフォームのなかで最も低い光損失を実現できる材料とし、約 400 nm〜2,500 nm の広い波長域、0.1 dB/cm から 0.1 dB/m までの伝搬損失を挙げています事実
  • 何ができないか:同ロードマップは、能動素子は SiN 基盤に本来備わっていないとし、レーザーや高速の受光器・変調器は InP などとのハイブリッド集積で補うと説明しています事実
  • 何が難しいか:低損失には高温の熱処理(水素の除去)と、厚い膜の応力対策が要ります。UCSB の Bose ら(2024年)は、従来の LPCVD 法が最高 850 ℃の成膜と 1,150 ℃のアニールを必要とする、と書いています事実
本シリーズの他の記事との関係

シリコン光回路の中で SiN がファイバーとの結合器や高出力の光を扱う部分に使われることは「シリコンフォトニクス」編で触れました。 InP・シリコン・薄膜ニオブ酸リチウムとの材料比較は「光集積回路とインジウムリン」編で扱いました。 リング共振器を使った波長の分波・合波は「波長多重とマイクロリング」編、LiDAR への応用は「LiDAR」編で詳しく扱います。 この記事は、SiN という膜の作り方と、それが損失を決める仕組みに焦点を当てます。

2. なぜ SiN なのか ― 他の材料にない5つの性質

性質一次情報の記述
① 損失が極めて低いLiu らは、1 dB/m 前後以下の損失は、すべての集積プラットフォームのなかで Si₃N₄ でしか実証されていないと書いています事実
② 使える波長が広いJePPIX は約 400〜2,500 nm とし、シリコンフォトニクスや InP では届かない用途に使えるとしています事実
③ 強い光に耐えるLiu らは、通信波長帯で二光子吸収がないこと、非常に高いパワー耐性を挙げています。Shekhar らも、高い光パワーを扱うには PIC 上で SiN を使えると書いています事実
④ 位相の誤差が小さいJePPIX は、屈折率差がほどほどなので位相誤差が非常に小さく、光路の性能を予測しやすいとしています事実
⑤ 工場にすでにあるShekhar らは、Ge 受光器と並んで SiN が複数のファウンドリで標準対応になり、波長域の拡大、高い光パワー、低損失、干渉素子での良好な位相制御に使われているとしています事実

出典:JePPIX ロードマップ[参考資料1]、Liu ら[参考資料2]、Shekhar ら[参考資料4]。5つに分けたのは本記事による整理です。

その一方で、JePPIX は SiN での変調を熱による kHz〜MHz 程度の速さとし、応力で動かす変調器もあるとしています事実。 速く点滅させる仕事は SiN には向かない——SiN は「光を運び、溜め、分ける」ための材料です(本記事による解説)。

3. 薄いコアと厚いコア

同じ SiN でも、コアの厚さで性格がまったく変わります。 Liu らは、厚さ 100 nm 未満の薄いコアは超低損失を実現してきたが、実効屈折率が低く、モード面積が大きく、非線形光学には向かないとし、 厚さ 700 nm を超える厚いコアは曲げ損失が無視でき、分散を設計でき、非線形性が高い、と整理しています事実。 JePPIX も、SiN 導波路は回路の中で閉じ込めの強さを変えられるとし、非線形素子やセンサー向けの強い閉じ込めと、高い光パワーやファイバーとの受動実装向けの弱い閉じ込め(希釈した導波路)を、同じチップ上で立体的なテーパーでつなげる、と説明しています事実。

薄いコアと厚いコアの SiN 導波路(概念断面図) 緑=SiN コア/灰=SiO₂ クラッド/橙のだ円=光の広がり(模式) ① 薄いコア(厚さ 100 nm 未満) ② 厚いコア(厚さ 700 nm 超) 光は外に大きく広がる(希釈したモード) 光はコアに強く閉じ込められる 超低損失。曲げは大きく、非線形には不向き 曲げ損失が小さく、分散と非線形性を設計できる ※ 厚さの区分と各特徴は Liu らの記述によります。材料屈折率 Si₃N₄ 2.0(Liu ら)。 ※ 光の広がり・コアの大きさの比は模式的なもので、実際の寸法・モード形状ではありません。
図1 概念図(ベクター作図)。薄いコア(100 nm 未満)と厚いコア(700 nm 超)の区分と特徴は Liu ら[参考資料2]の記述、閉じ込めを回路内で変えられることは JePPIX ロードマップ[参考資料1]によります。描き方・寸法比は本記事による模式です。

4. 本稿の計算:損失を並べると、何桁違うか

導波路の損失を dB/m にそろえて並べる(本稿の計算を含む) 横軸は対数(1目盛りで10倍)。小さいほど低損失 0.01 0.1 1 10 100 1000 dB/m 参考:InP(p 型クラッドあり) 約 200 SiN:JePPIX の範囲の上端 10 SiN 厚さ 800 nm・250 ℃(最良) 8.66 SiN 1 m のらせん導波路 2.4 SiN 厚さ 80 nm・250 ℃ 1.77 SiN 共振器(4 インチ全面の平均) 1.0 SiN:JePPIX の範囲の下端 0.1 ※ InP は Smit らの約 2 dB/cm、JePPIX は 0.1 dB/cm〜0.1 dB/m、1.0・2.4 は Liu ら、1.77・8.66 は Bose ら。dB/m への換算は本記事によります。 ※ 構造・波長・測定法の異なる値の並置で、同条件の比較ではありません。「0.1」のバー長は下端 0.1 dB/m の位置を示します。 ※ 共振器の値は共振から求めた損失で、直線導波路の測定値とは測り方が異なります。
図2 本稿の計算を含む作図(ベクター作図)。各値は Smit ら[参考資料5]、JePPIX ロードマップ[参考資料1]、Liu ら[参考資料2]、Bose ら[参考資料3]の記載です。dB/m への換算と並べ方は本記事によるもので、同条件の比較ではありません。
本稿の計算:1 m の導波路は、どれだけ光を残し、どれだけ遅らせるか

本稿の計算

  • 残る光:Liu らの 1 m らせん導波路(2.4 dB/m)では、1 m 通った後に 10−0.24 ≒ 約 58% が残る
  • 比較:InP の約 2 dB/cm(= 200 dB/m)だと、同じ 2.4 dB は 1.2 cm で失われる
  • 遅れ:Liu らが示す群屈折率 2.1 を使うと、1 m を通る時間は 2.1 × 1 m ÷ 光速(3×10⁸ m/s)≒ 7 ns

前提と限界:群屈折率は Liu らが共振器の解析に使った値で、1 m らせん導波路の値として明記されたものではありません。 Liu らは、このらせんが5 mm 角のチップに収まったと述べています事実。 数 mm 角の中に、光が数 ns かかる道を作れることが、遅延線や高 Q 共振器への応用の土台です(本記事による解説)。

5. 成膜:LPCVD と PECVD、そして熱の予算

SiN の膜は、主にLPCVD(減圧化学気相成長)かPECVD(プラズマ化学気相成長)で作ります。 両者の違いは、成膜温度と、膜に残る水素です(本記事による整理)。

  • LPCVD:Bose らは、LPCVD の SiN 導波路が最高 850 ℃の成膜温度と 1,150 ℃のアニールを要するとし、厚いコアの導波路は1,050 ℃のアニールと応力緩和の構造、CMPを必要とするのが一般的だ、と書いています事実
  • 高温アニールの目的:Liu らは、膜に残る水素不純物を追い出すため 1,200 ℃でアニールし、上部の SiO₂ クラッドも 1,200 ℃でアニールしています事実
  • PECVD:Bose らは、従来の PECVD の SiN は水素に由来する大きな吸収損失をもち、スパッタや PECVD はパーティクルによる散乱損失も課題だとしています事実
  • 低温で作る意味:同論文は、処理温度を 400 ℃未満にできればシリコン電子回路、シリコン光回路、薄膜ニオブ酸リチウム、III-V 族半導体の上に直接導波路を作れ、250 ℃まで下げれば有機エレクトロニクスやポリイミド、石英などにも広がる、と述べています事実
SiN 導波路の「熱の予算」(温度は一次情報の記載、並べ方は本記事) バーの長さ=工程の最高温度(100 ℃ = 30 px) 溝のリフロー(Liu ら) 1,250 ℃ 水素を追い出すアニール(Liu ら) 1,200 ℃ LPCVD 導波路のアニール(Bose ら) 1,150 ℃ LPCVD の成膜(Bose ら) 最高 850 ℃ 電子回路・III-V・TFLN の上に作る 400 ℃ 未満 重水素 ICP-PECVD(Bose ら) 250 ℃ 400 ℃:電子回路などの上に直接作れる目安(Bose ら) ※ 1,250 ℃・1,200 ℃は Liu ら、850 ℃・1,150 ℃・400 ℃・250 ℃は Bose らの記載です。 ※ 各研究の工程の最高温度を並べたもので、SiN 導波路一般の標準工程ではありません。 ※ 図の並べ方・色分けは本記事によります。
図3 概念図(ベクター作図)。各温度は Liu ら[参考資料2]と Bose ら[参考資料3]の記載によります。温度を「熱の予算」として並べた構成は本記事によるもので、特定の量産工程を示すものではありません。

Bose らは、重水素化したシラン(SiD₄)を原料にした ICP-PECVD を 250 ℃で行い、SiN コアと SiO₂ クラッドの両方をアニールなしで作る工程を報告しました事実。 同論文によれば、厚さ 80 nm のコアで 1.77 dB/m、厚さ 800 nm のコアで最良 8.66 dB/m(中央値 13.9 dB/m)を得ており、 応力緩和の構造も研磨も要らなかったとしています事実(研究段階の試作の値)。

6. 素材技術者の視点①:損失の正体は「水素」

素材技術者の読みどころ:原料の水素が、C バンドのすぐ手前で光を吸う

Bose らは、原料の重水素化シランにもわずかに含まれる水素が吸収損失を増やしているとし、その証拠として 波長 1,520 nm に向かって損失が増えること、それがSiN–H 結合の吸収の第1倍音(オーバートーン)付近であることを挙げています事実。 また 1,630 nm 側の損失増は、上部クラッドの SiO–D 結合の倍音によるものと考えられるとしています事実。

つまり、膜の中の化学結合の振動が、光通信の最も大事な波長帯(1.55 µm 付近)のすぐ隣に吸収を作ります。 LPCVD の膜を 1,200 ℃でアニールする(Liu ら)のは、この水素を膜から追い出すためです事実。

本稿の計算:水素を重水素に替えると、吸収はどこへ動くか本稿の計算

  • 結合の振動数は、単純な2原子の調和振動子では換算質量の平方根に反比例する(本記事による近似)
  • N–H の換算質量:14 × 1 ÷ 15 ≒ 0.93、N–D:14 × 2 ÷ 16 = 1.75(原子量を整数で近似)
  • 振動数の比:√(1.75 ÷ 0.93)≒ 1.37 → 波長は 1.37 倍に伸びる
  • 1,520 nm の吸収は、約 2,080 nm へ移る見積もり

前提と限界:非調和性や、実際の結合が Si–N 骨格の中にあることは無視しています。 「重水素化で吸収が C バンドから外れる」という方向を示すための計算で、吸収の正確な位置ではありません。

ここから見えるのは、低温で低損失を得るための2つの道です(本記事による整理)。 ①高温で水素を追い出す(LPCVD+アニール)か、②最初から水素を重水素に置き換えて、吸収を使わない波長へずらすか。 前者は熱の予算を食い、後者は原料ガス(同位体)のコストがかかります。どちらも、損失を決めているのが膜の組成と不純物であることを示しています。

水素(H)を重水素(D)に替えると、吸収は C バンドから離れる(本稿の計算を含む) 横軸=波長(nm)。1 nm = 0.5 px 1,300 1,500 1,700 1,900 2,100 2,300 nm 1,550 nm 付近 SiN–H 約 1,520 nm(Bose らの記載) SiN–D 約 2,080 nm(本稿の見積もり) × 約 1.37(換算質量の比の平方根) ※ 1,520 nm 付近が SiN–H の第1倍音であることは Bose らの記載。2,080 nm と 1.37 倍は本記事が調和振動子の近似で見積もった値です。 ※ 吸収の形・幅は模式です。実際の吸収スペクトルを示すものではありません。
図4 本稿の計算を含む作図(ベクター作図)。1,520 nm 付近の損失増が SiN–H 結合の第1倍音付近であることは Bose ら[参考資料3]の記載です。重水素化による移動(約 1.37 倍、約 2,080 nm)は本記事が単純な調和振動子の近似で見積もった値で、公表値ではありません。

7. 素材技術者の視点②:厚くすると割れる ― 応力をどう逃がすか

厚いコア(700 nm 超)は非線形光学などに欠かせませんが、厚い LPCVD 膜は成膜時の応力を抱えます。 EPFL の Liu らは、これを「フォトニック・ダマシン法」で解いています事実。

フォトニック・ダマシン法:先に溝を掘り、SiN で埋めて削る(概念図) 灰=SiO₂/緑=SiN。細い溝の左右に並ぶ小さな溝は応力を逃がす「フィラーパターン」 ① 溝を掘る ② リフロー ③ SiN で埋める ④ 平坦化・アニール SiO₂ に導波路の溝と フィラーパターンを描く 1,250 ℃で側壁の 荒れをならす LPCVD で SiN を 1,000 nm 堆積 CMP で削り、1,200 ℃で 水素を追い出し被覆 ※ 工程と温度・膜厚は Liu らの記述によります。④では上部 SiO₂ クラッドも 1,200 ℃でアニールします。 ※ ②の図は②の段階の溝だけを拡大して描いています。フィラーパターンの形・数・寸法は模式です。 ※ 層の厚さ・幅の比は模式的なもので、実際の寸法ではありません。
図5 概念図(ベクター作図)。溝とフィラーパターンの描画(248 nm の DUV 露光)、1,250 ℃のリフロー、1,000 nm の LPCVD SiN、CMP を含むエッチバック平坦化、1,200 ℃のアニールは Liu ら[参考資料2]の記述によります。4段階の描き分け・寸法比は本記事による模式です。
  • 先に溝を掘る:導波路と応力を逃がすフィラーパターンを、SiO₂ の上に DUV(248 nm KrF)露光で直接描く。電子線描画でなく DUV を使うことで、処理量・安定性・再現性が大きく上がる事実
  • 応力を逃がす:フィラーパターンは縦横の棒をウェハ全面に均一に並べたもので、成膜したままの LPCVD Si₃N₄ 膜の応力を大きく緩和し、クラックを防ぐ。エッチングと CMP の均一性にも必要事実
  • 結果:同じフィラーパターンで30 枚以上のウェハを流してクラックはゼロ、クラックのない使えるチップの歩留まりは 100% と報告事実(同グループの報告)
  • 平坦化:レジスト塗布・ドライエッチ・CMP を組み合わせたエッチバックで、研磨深さを制御し、サブ nm の表面粗さとウェハ全面で 3% 未満の高さばらつきを得た事実
  • 性能:4 インチ全面で共振器の平均 Q 値 3,000 万超(損失 1.0 dB/m 相当)、5 mm 角のチップに収めた 1 m のらせん導波路で 2.4 dB/m事実
明るい灰色の平らな面に、一本の滑らかな細い溝が走り、その両側に小さな四角い凹みが格子状に規則正しく並んでいる様子を斜めから見た概念イメージ
図6 概念図(AI生成イメージ)。「導波路の周りに、応力を逃がす小さなパターンを敷き詰める」という考え方を雰囲気として表現したものです。実際のフィラーパターンの形・寸法・配置、特定研究機関の設計を示すものではありません。
素材技術者の読みどころ:応力は「材料」ではなく「パターン」で逃がす

膜の応力でひび割れるとき、ふつう素材技術者が最初に考えるのは成膜条件(組成・温度・圧力)を変えて応力そのものを下げることです。 ところが Liu らの方法は、膜の組成は変えず、膜が連続して広がる面積をパターンで区切って、応力を逃がしています事実。

ここから読めるのは、低損失を支える化学量論の Si₃N₄(LPCVD)を守るために、応力の問題はレイアウトと工程の側で解いた、という割り切りです。 同時に、フィラーパターンがエッチングと CMP の均一性にも必要だという記述は、半導体の配線工程でおなじみの「ダミーパターン」と同じ発想です(本記事による解説)。

一方、Bose らの 250 ℃ 工程は応力緩和の構造も研磨も要らなかったとしており事実、 低温・重水素化という「材料側」の解と、高温 LPCVD+ダマシンという「工程側」の解が並んでいます。 損失は現時点では高温側が低く(1.0 dB/m 対 8.66 dB/m、厚いコアどうし。ただし前者は共振器の Q 値からの推定、後者は直線導波路の実測で、測り方が異なる)、熱の予算は低温側が有利——どちらが量産の主流になるかは確定していません未確定/将来。

8. 用途 ― 何に使われているか

用途一次情報の記述
光周波数コム(マイクロコム)Liu らは、Si₃N₄ がソリトン・マイクロコムの主要な材料になったとし、コヒーレント通信、天文分光器の校正、超高速測距、並列コヒーレント LiDAR、周波数シンセサイザ、原子時計などのシステム実証を挙げています事実
狭線幅レーザー・安定化Liu らは低損失の PIC と共振器が狭線幅レーザーを可能にしたとし、Bose らは薄いコアの基準共振器でレーザーの周波数雑音を4桁以上下げた実証を報告しています事実
光ビームフォーミング(InP とのハイブリッド)JePPIX は、InP の PIC 3つ(レーザー、受光器アレイ、変調器アレイ)を TriPleX の SiN PIC(真の時間遅延素子を含む)に実装した、衛星通信・5G 向けのモジュールを紹介しています事実
高出力の光・ジャイロShekhar らは、高い光パワーの扱いに SiN を使えるとし、ジャイロスコープ向けに SiN 導波路の損失が 0.5 dB/m まで下がったと紹介しています。1,050 nm の波長に移るには SiN の PIC が必要とも書いています事実

出典:Liu ら[参考資料2]、Bose ら[参考資料3]、JePPIX ロードマップ[参考資料1]、Shekhar ら[参考資料4]。多くは研究段階の実証で、製品の採用状況を示すものではありません。

9. 課題

(1) 能動素子がない

SiN にはレーザーも高速変調器もありません事実。 InP や薄膜ニオブ酸リチウムとの組み合わせが前提になり、その接合の工程温度が、第5章の「熱の予算」と衝突します(本記事による解説)。

(2) 研究室の低損失を、工場へ

Liu らは、自らの技術を商用ファウンドリに移せば集積フォトニクスの性能を大きく高められると述べていますが事実、 その移管の状況や量産での損失値は、本稿の調査範囲の一次情報では確認できませんでした未確定/将来。 Shekhar らは、SiN と Si の多層構造が商用ファウンドリで一般的に対応されるようになると見通しています未確定/将来。

(3) 応力の定量値は公開情報から確認できなかった

LPCVD 膜の残留応力の数値や、クラックが入らない最大膜厚は、本稿が参照した一次情報では数値として確認できなかったため記載していません。

この記事のまとめ
  • SiN は、1 dB/m 前後以下の損失を実証した唯一の集積材料(Liu ら)で、約 400〜2,500 nm を扱えます事実
  • InP(約 200 dB/m)と比べると2桁以上低い。1 m 通しても約 58% が残り、約 7 ns 遅れます本稿の計算
  • 低損失の鍵は水素。SiN–H の吸収が 1,520 nm 付近にあり、高温アニールか重水素化で逃げます事実
  • 厚い膜は応力で割れる。フィラーパターンで応力を逃がし、30 枚以上でクラックゼロの報告があります事実
  • 高温で最良の損失か、低温で集積のしやすさか——量産の主流は未確定です未確定/将来

10. 用語集

窒化シリコン(SiN、Si₃N₄)
ケイ素と窒素の化合物。半導体の絶縁膜・保護膜として広く使われる。屈折率は約 2.0。
導波路
屈折率の高いコアを低いクラッドで囲み、光を閉じ込めて運ぶ通り道。
LPCVD
減圧化学気相成長。高温で原料ガスを反応させて膜を作る。緻密で化学量論に近い膜が得られる。
PECVD
プラズマ化学気相成長。プラズマで反応を助け、低温で膜を作る。水素が残りやすい。
ICP-PECVD
誘導結合プラズマを使う PECVD。高密度のプラズマで窒素を分解できる。
重水素化シラン
シラン(SiH₄)の水素を重水素に置き換えた原料ガス(SiD₄)。
倍音(オーバートーン)
分子振動の基本の吸収の、ほぼ整数倍の振動数(ほぼ整数分の1の波長)に現れる弱い吸収。
アニール
熱処理。膜中の不純物を追い出したり、欠陥を減らしたりする。
熱の予算(サーマルバジェット)
工程全体で許される温度と時間の上限。下にある材料や素子が決める。
フォトニック・ダマシン法
先に溝を掘って SiN で埋め、表面を研磨して導波路を作る方法。
フィラーパターン
導波路の周りに敷き詰める小さなパターン。膜応力の緩和と研磨の均一化に使う。
CMP
化学機械研磨。薬液と研磨で表面を平坦・平滑にする工程。
リフロー
高温で材料を軟化させ、表面の荒れをならす処理。
Q 値
共振器が光をどれだけ長く溜められるかの指標。損失が小さいほど大きい。
群屈折率
光のパルスが進む速さを決める屈折率。遅延時間の計算に使う。
二光子吸収
2つの光子を同時に吸収する現象。強い光で損失を生む。シリコンでは通信波長で起きる。
マイクロコム
微小な共振器の非線形効果で作る、等間隔に並んだ多数の波長の光。
TriPleX
LioniX International の SiN 導波路技術の名称。

11. 参考資料(一次情報)

  1. JePPIX「Unleashing the power of PIC — Technology Roadmap 2021-2025」2021年3月8日(PDF) — jeppix.eu
  2. J. Liu, G. Huang, R. N. Wang ほか, T. J. Kippenberg(EPFL)「High-yield, wafer-scale fabrication of ultralow-loss, dispersion-engineered silicon nitride photonic circuits」Nature Communications 12, 2236(2021年、DOI: 10.1038/s41467-021-21973-z) — nature.com
  3. D. Bose, M. W. Harrington, A. Isichenko ほか, D. J. Blumenthal(UCSB ほか)「Anneal-free ultra-low loss silicon nitride integrated photonics」Light: Science & Applications 13, 156(2024年、DOI: 10.1038/s41377-024-01503-4) — nature.com
  4. S. Shekhar, W. Bogaerts, L. Chrostowski, J. E. Bowers ほか「Roadmapping the next generation of silicon photonics」Nature Communications 15, 751(2024年、DOI: 10.1038/s41467-024-44750-0) — nature.com
  5. M. Smit ら(TU Eindhoven ほか)「An introduction to InP-based generic integration technology」(2014年論文の改訂版、JePPIX 公開の書籍第1章、PDF) — jeppix.eu
  6. D. Zhu ら(Harvard 大学ほか)「Integrated photonics on thin-film lithium niobate」Advances in Optics and Photonics 13, 242(2021年、DOI: 10.1364/AOP.411024)。著者公開版で確認 — arxiv.org

12. 主張と出典の対応表(監査)

本文の主張根拠区分
SiN が集積プラットフォームで最も低い光損失を実現でき、約 400〜2,500 nm の波長域、0.1 dB/cm〜0.1 dB/m の損失、シリコンフォトニクスや InP では届かない用途。屈折率差がほどほどで位相誤差が小さいこと。回路内で閉じ込めを変えられ、強い閉じ込め(非線形・センサー)と弱い閉じ込め(高パワー・ファイバー実装)を 3D テーパーでつなげること。熱による kHz〜MHz 程度の変調と応力駆動の変調器。能動素子は SiN 基盤に本来なく、InP などとのハイブリッドで補うこと。InP の PIC 3つを TriPleX の SiN PIC(真の時間遅延素子)に実装した衛星通信・5G 向けモジュールJePPIX Technology Roadmap 2021-2025[参考資料 1]https://www.jeppix.eu/wp-content/uploads/2020/pilotline-files/JePPIX_Roadmap_2021_2025.pdf事実
Si₃N₄ の材料屈折率 2.0、群屈折率 2.1(解析に使用)。1 dB/m 前後以下の損失は Si₃N₄ でしか実証されていないこと。通信波長で二光子吸収がないこと、非常に高いパワー耐性、強い Kerr 非線形性。薄いコア(100 nm 未満)と厚いコア(700 nm 超)の特徴。フォトニック・ダマシン法(248 nm DUV で溝とフィラーパターン、1,250 ℃のリフロー、1,000 nm の LPCVD Si₃N₄、レジスト・ドライエッチ・CMP のエッチバック、サブ nm 粗さと 3% 未満の高さばらつき、1,200 ℃で水素を追い出すアニール、上部 SiO₂ も 1,200 ℃アニール)。フィラーパターンが LPCVD 膜の応力を緩和しクラックを防ぎ、エッチング・CMP の均一性にも必要なこと、30 枚以上でクラックなし・歩留まり 100%。4 インチ全面で平均 Q 3,000 万超(1.0 dB/m 相当)、5 mm 角に収めた 1 m らせんで 2.4 dB/m。マイクロコムのシステム実証の列挙と狭線幅レーザー。商用ファウンドリへの移管で性能を高められるという記述Liu ら, Nature Communications 12, 2236(2021年)[参考資料 2]https://www.nature.com/articles/s41467-021-21973-z事実
LPCVD SiN 導波路が最高 850 ℃の成膜と 1,150 ℃のアニールを要すること、厚いコアは一般に 1,050 ℃アニールと応力緩和構造・CMP を要すること。従来 PECVD の水素由来の吸収、スパッタ・PECVD のパーティクル散乱。400 ℃未満で電子回路・Si 光回路・TFLN・III-V 上に、250 ℃で有機・ポリイミド・石英などにも作れること。重水素化シランの ICP-PECVD を 250 ℃で行いアニールなし、80 nm コアで 1.77 dB/m、800 nm コアで最良 8.66 dB/m・中央値 13.9 dB/m、応力緩和も研磨も不要。水素により 1,520 nm に向かって損失が増え SiN–H の第1倍音付近であること、1,630 nm 側は SiO–D の倍音と考えられること。基準共振器で周波数雑音を4桁以上低減Bose ら, Light: Science & Applications 13, 156(2024年)[参考資料 3]https://www.nature.com/articles/s41377-024-01503-4事実
SiN が複数のファウンドリで標準対応になり、波長域拡大・高パワー・低損失・位相制御に使われること。高い光パワーの扱いに SiN を使えること。ジャイロ向けに SiN 導波路損失が 0.5 dB/m まで下がったこと、1,050 nm には SiN の PIC が必要なこと。Si の屈折率 3.47(1,550 nm)Shekhar ら, Nature Communications 15, 751(2024年)[参考資料 4]https://www.nature.com/articles/s41467-024-44750-0事実
SiN と Si の多層構造が商用ファウンドリで一般的に対応されるようになるという見通しShekhar らの今後10年の見通しであり、実績ではない[参考資料 4]https://www.nature.com/articles/s41467-024-44750-0未確定/将来
InP の p 型クラッドによる約 2 dB/cm の損失Smit ら(JePPIX 公開の書籍第1章)[参考資料 5]https://www.jeppix.eu/wp-content/uploads/2025/03/Chapter-1-Introduction.pdf事実
SiO₂ の屈折率約 1.44(1,550 nm)Zhu ら, Advances in Optics and Photonics 13, 242(2021年)の物性表[参考資料 6]https://arxiv.org/abs/2102.11956事実
dB/m への換算(InP 2 dB/cm = 200 dB/m、0.1 dB/cm = 10 dB/m)。1 m で 2.4 dB のとき約 58% 残る、InP では 1.2 cm で同じ損失。群屈折率 2.1 で 1 m の遅延約 7 ns。N–H・N–D の換算質量(約 0.93、1.75)、振動数比 約 1.37、1,520 nm → 約 2,080 nm の見積もり本稿の計算。群屈折率は共振器解析の値を流用。重水素の見積もりは原子量を整数とした2原子調和振動子の近似で、非調和性や骨格の影響を無視本稿の計算
高温 LPCVD+ダマシンと低温重水素化 PECVD のどちらが量産の主流になるか。商用ファウンドリへの移管状況と量産での損失値本稿の調査時点(2026年9月)で、一次情報では確認できなかったため記載していない。本記事による判断未確定/将来
LPCVD 膜の残留応力の数値と、クラックが入らない最大膜厚本稿が参照した一次情報では数値として確認できなかったため記載していない解説
SiN を「光を運び、溜め、分ける」材料とした整理。5つの性質への分類。成膜法の違いを温度と水素で整理したこと。損失を決めるのが膜の組成と不純物であるという読み取り、水素を追い出すか置き換えるかの2つの道。応力を材料でなくパターンで逃がしたという読み取り、ダミーパターンとの類比、材料側と工程側の解の対比。熱の予算と接合の衝突という指摘。図の構成と描き方公表内容にもとづく本記事の整理・解説。各研究機関が表明した見解ではない解説
図1〜図5が実際の断面・測定データではなく説明のための作図であること。ヒーロー画像と図6が AI 生成イメージであること本記事による注記解説

最終更新:2026年9月26日/出典は一次情報(査読論文・総説、研究コンソーシアムの公開ロードマップ、大学公開の書籍章)に限定しています。 数値の換算や材料設計上の読み取りを含むため、それらは「本稿の計算」「解説」として出典付きの事実と区別しています。 論文の損失値は研究段階の試作の値で、製品・量産工程の値ではありません。 LPCVD 膜の応力の数値、クラックの入らない最大膜厚、商用ファウンドリでの量産損失については、公開された一次情報で確認できなかったため記載していません。 図はすべて説明用の概念図です。図1〜図5はベクター作図、ヒーロー画像と図6はAI生成イメージであり、いずれも実際の断面写真・顕微鏡像・製品の実物を示すものではありません。