COMPANY PROFILE / ナノテクノロジー
BASF
― ナノ細孔を持つ結晶「金属有機構造体(MOF)」を、数百トン/年の規模で製造できると説明するドイツの化学会社(MOFに限る)
BASFは、ドイツ・ルートヴィヒスハーフェンに本社を置く世界最大級の総合化学会社です。本稿が扱うのは、そのうち金属有機構造体(MOF)に限ります。 MOFは、金属イオンと有機分子が組み合わさってできる多孔質の結晶で、ナノメートルの大きさの空洞を持ち、気体や水蒸気を大量にためられます。2025年のノーベル化学賞は、この材料の開発に対して北川進氏、リチャード・ロブソン氏、オマー・ヤギー氏に贈られました。 BASFは、2023年10月に「MOFを数百トン/年の生産規模で作る世界で最初の企業」だと発表し、カナダのSvante社向けに、二酸化炭素(CO₂)回収用のMOF「CALF-20」を米国サウスカロライナ州シーニカの拠点で製造していると説明しています。 一方、BASFの2025年の年次報告書にはMOFに関する記載が見当たらず、MOFの売上・生産能力の正確な数字は公表されていません。本稿は、会社の公式発表・年次報告書と、取引先・米国エネルギー省の公開資料から、何を確認でき、何を確認できなかったかを整理し、素材技術者の視点でMOFの細孔、水蒸気への耐性、量産のむずかしさが何に効くかを書きます。
- 30秒でわかるBASFと、ナノテクノロジーでの立ち位置
- ロゴと社名の表記について
- ナノテクノロジーの世界で、この会社はどこにいるか
- 会社の規模
- ナノテクノロジーにかけているリソース
- これまでの取り組み
- 今後の計画
- この会社はナノテクノロジーで何を目指しているか
- ナノテクノロジー分野の提携マッピング
- 提供している技術・製品・サービス
- この企業が抱えるリスク
- 用語集
- 出典
- 主張と出典の対応表
1. 30秒でわかるBASFと、ナノテクノロジーでの立ち位置
(バスフ)カタカナは本稿の便宜表記。社名の由来は公式資料では確認していない
フランクフルト(BAS)米国ではADR(BASFY)。2023年10月の公式発表の表記
CO₂の回収、水蒸気の吸着同社は現在、CO₂と水の貯蔵の2用途に注力と説明(2025年12月)
(2023年10月)同社の主張。能力の正確な数字・稼働率は非公表
(高機能化学品)化学触媒・吸着剤の事業は2025年1月から、この部門で報告(年次報告書)
BASFのMOFは、会社全体(売上597億ユーロ)から見れば、年次報告書に載らないほど小さな事業です。それでも注目される理由は、MOFを数百トン/年の規模で量産できると同社が説明し、その実績としてCO₂回収用のCALF-20をSvante社向けに製造していること、そして2025年のノーベル化学賞がMOFに贈られ、ノーベル委員会の発表でCALF-20が紹介されたことです 事実。 ただし、「世界で最初の商業規模のMOF製造」は同社自身の主張で、生産能力(トン/年)の内訳、稼働率、売上、Svanteとの契約の数量・価格は公表されていません。同社は、水の吸着(空調の除湿の試験運用)やCO₂回収以外の用途を「パートナーとともに開発していきたい」と述べていますが、これらは将来の見通しです 未確定/将来。
2. ロゴと社名の表記について

ロゴは、BASFの公式サイト(basf.com)のヘッダーで公開されている白抜きのコーポレートロゴ(四角い図形、BASF の文字、キャッチフレーズ「We create chemistry」)を、そのまま取得して設置しています。白い画像のため、見やすいように暗い背景の枠に置いています。生成画像による再現は行っていません。
表記の注意:社名はBASF SEで、日本語では「BASF」とそのまま書かれることが多く、本稿もこれに従います。本稿が扱うのはMOFの事業だけで、BASFの他の事業(農薬、塗料、環境触媒、電池材料など)は扱いません。MOFの事業は、化学触媒・吸着剤(Chemical Catalysts and Adsorbents)の部署が担当しています。
公式サイト:https://www.basf.com/3. ナノテクノロジーの世界で、この会社はどこにいるか
BASFの主たる類型はナノ素材メーカーです。従たる類型はありません。BASFは、MOFを作って顧客に渡す側で、MOFを使った機器(炭素回収の装置、除湿機)は顧客・パートナーが作ります。 本稿が扱う材料・用途を、確認できた範囲で整理します。
| 材料・用途 | BASFでの位置づけ | 確認できた一次情報 | 区分 |
|---|---|---|---|
| MOF:CO₂回収用の固体吸着材(CALF-20) | 本稿の中心。Svante社の炭素回収技術に使うMOFを、同社の実験室の配合を工場の手順に移して量産。米国サウスカロライナ州シーニカの拠点で製造 | BASFの公式発表(2023年10月、2025年12月)、Svanteの発表 | 事実(会社の説明) |
| MOF:水蒸気の吸着(空調の除湿など) | 空調の除湿のパイロットプロジェクトで使用と説明。ほかに、米国のMontana Technologies社(AirJoule)とMOFの量産で共同開発契約 | BASFの公式発表(2025年12月)、米国エネルギー省の発表(2023年11月) | 事実(会社の説明) |
| MOF:水素・天然ガス・メタンの貯蔵など | BASFの研究は約25年前に始まり、水素や天然ガス、CO₂、水の貯蔵など幅広い用途を検討したと説明。現在は水とCO₂の2用途が中心 | BASFの公式発表(2025年12月) | 事実(会社の説明) |
| MOF以外のナノ材料(カーボンナノ材料、量子ドットなど) | 本稿では扱わない。BASFのMOF以外の事業は対象外 | ― | 未確定/将来 |
4. 会社の規模
BASFは大企業で、会社全体は化学品、素材、産業用ソリューション、栄養・ケア、農業、表面処理など多岐にわたります。ここでは全社の規模を表1つで簡潔に示し、そのうえでMOFについて開示されている範囲を示します 事実。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 売上高 | 597億ユーロ(2025年。前年は614億ユーロ) |
| EBITDA | 特別項目を除くEBITDA 66億ユーロ(前年から6.86億ユーロの減少)。特別項目を含むEBITDAは56億ユーロ(再編費用の計上による) |
| 純利益 | 16億ユーロ(2025年。前年は13億ユーロ) |
| 従業員 | 108,251人(2025年12月31日。前年は111,822人)。研究開発に従事する人員は約9,000人 |
| 研究開発費 | 19.95億ユーロ(2025年。前年は19.69億ユーロ) |
| MOFが属するセグメント | 産業ソリューション(Industrial Solutions)セグメントの高機能化学品(Performance Chemicals)部門。化学触媒・精製触媒の事業は、2025年1月から同部門で報告(以前は表面処理セグメントの触媒部門)。産業ソリューションの2025年の売上は85.94億ユーロ |
| 本社・上場 | ドイツ・ルートヴィヒスハーフェン。フランクフルト証券取引所(BAS)、米国でADR(BASFY) |
| MOF事業で開示されている項目 | 内容 |
|---|---|
| 売上高・利益 | 非開示。2025年の年次報告書に、MOFの記載は見当たらない |
| 製造能力 | 2023年10月の発表で「数百トン/年の生産規模」、「複数の拠点でカスタムMOFを製造する能力がある」と説明。2025年12月の発表は製造拠点としてシーニカ(米国)を挙げる。拠点ごとの能力、稼働率は非開示 |
| 従業員数・研究人員 | 非開示(MOFに従事する人員) |
| 研究開発費・設備投資 | MOF単独は非開示。シーニカの設備投資額も確認できなかった |
BASFの発表には、MOFの「内部表面積が1gあたり最大10,000平方メートル」という数字がありますが、これはMOFという材料群全体についての説明で、BASFの製品(CALF-20など)の値ではありません。測定法・対象のMOFも書かれていません。 また、「世界で最初に商業規模でMOFを製造した」は同社の主張で、他社の状況を比較した資料は示されていません 未確定/将来。
5. ナノテクノロジーにかけているリソース
MOF事業単独の人員・投資は、ほとんど開示されていません。人・金・外部・大学の4点で、確認できたか/できなかったかを整理します。
| 項目 | 確認できた内容 | 区分 |
|---|---|---|
| 人(研究開発拠点・人員) | MOFに従事する人員は非公表。全社は従業員108,251人、研究開発人員は約9,000人(2025年)。MOFの研究は約25年前に始まったと同社が説明。2023年の発表では「研究者、スケールアップの専門家、技術者の学際チーム」が、Svanteの実験室の配合を工場の手順に移したと説明。製造拠点は米国サウスカロライナ州シーニカ | 事実/非公表 |
| 金(研究開発費・設備投資) | 全社の研究開発費は19.95億ユーロ(2025年)。MOF単独の研究開発費・設備投資、シーニカの投資額は確認できなかった | 事実/非開示(個別額) |
| 外部への出資・買収・合弁・事業売却 | MOF分野での出資・買収・合弁・事業売却は、公式資料で確認できなかった。Svanteとは独立した事業者同士の商業供給契約(Svanteの表現)。Montana Technologiesとは共同開発契約(米国エネルギー省の発表)で、出資関係は確認できなかった | 確認できず(出資・合弁) |
| 大学・研究機関・公的資金 | オマー・ヤギー教授(カリフォルニア大学バークレー校)と長年協力。BASFが2014年に始めたCalifornia Research Alliance(CARA)の共同設立者で、2023年時点で11大学の教員・学生とともに110件超のプロジェクト、特許出願47件、論文93件。CALF-20の論文はカルガリー大学などの研究者による(Science 2021)。BASFのMOFに対する公的資金は確認できなかった | 事実/確認できず(公的資金) |
主要な製品・設備の状況
| 製品・設備 | 場所 | 規模 | 段階 | 日付・出典 |
|---|---|---|---|---|
| CALF-20(Svante向けのCO₂回収用MOF) | 米国サウスカロライナ州シーニカ | MOF全体で「数百トン/年の生産規模」と説明。CALF-20単独の数量は非開示 | 稼働(商業供給契約を2023年10月に発表。2025年12月の発表で製造を継続と説明) | 2023年10月10日・2025年12月3日のBASF発表、Svanteの発表 |
| カスタムMOFの製造能力 | 複数の拠点(拠点名は2025年の発表でシーニカのみ) | 非開示 | 能力あり(同社の説明)。個別の顧客・用途は非公表 | 2023年10月10日のBASF発表 |
| MOFの除湿用途(空調) | 非公表 | パイロットプロジェクト | パイロット(試験運用) | 2025年12月3日のBASF発表 |
| Montana Technologies(AirJoule)向けMOF | 非公表 | 非開示 | 共同開発契約のもと、量産と商業的に成り立つコストでの製造を実証したと同社が説明(米国エネルギー省の発表)。未確定/将来 | 米国エネルギー省の発表(2023年11月9日) |
6. これまでの取り組み
| 時期 | できごと | 意味 |
|---|---|---|
| 1999年 | オマー・ヤギー氏らが、きわめて安定で多孔質の金属有機構造体(MOF-5)を報告(Nature 402, 276–279) | MOFの代表的な基礎研究(学術論文) |
| 2000年ごろ | BASFがMOFの研究を開始(2025年12月の発表で「約25年前」と説明) | 産業化への長い準備 |
| 2014年 | BASFが、カリフォルニア大学バークレー校などと共同研究の枠組みCARAを開始(ポスドク10名で出発) | 米国西海岸の大学との共同研究 |
| 2021年 | CALF-20の論文が発表される(Science 374, 1464–1469、12月)。Svanteは、BASFと約2年間共同でスケールアップしてきたと2023年に説明 | 実験室から工場へ向けた共同開発 |
| 2023年10月10日 | BASFが、MOFの商業規模の製造を発表(数百トン/年)。Svanteが、BASFとの商業供給契約を発表 | 量産と販売の確立(同社の説明) |
| 2023年11月9日 | 米国エネルギー省とMontana Technologiesが、BASFとの共同開発契約のもとでMOFの量産を実証したと発表 | 水の吸着用途の展開 |
| 2025年10月 | ノーベル化学賞がMOFの開発に対して北川進氏、リチャード・ロブソン氏、オマー・ヤギー氏に贈られると発表。委員会の公開資料でCALF-20が紹介された | 材料群の学術的な認知 |
| 2025年12月3日 | BASFが、MOFを産業規模で製造していること、現在の注力が水とCO₂の貯蔵の2用途であることを発表(12月10日にノーベル賞授賞式) | 同社の現在の位置づけ |
7. 今後の計画
水の貯蔵同社が「現在注力」と説明した2用途(2025年12月)
乾燥地への水の供給へ将来の可能性として同社が言及。時期・規模の記載なし
確認できず年次報告書にMOFの記載がない
BASFは2025年12月の発表で、MOFがすでに商業用途でCO₂の回収や空気中の水の回収に使われていると述べ、ノーベル賞委員会が示した他の用途分野をパートナーとともに開発したいとしています(趣旨)。 一方で、新しい工場の建設や、MOF向けの追加投資の計画は、公式資料に記載がありません。同社は全社で、ルートヴィヒスハーフェンを中心とするコスト削減・再編を進めており(2025年に再編費用9.37億ユーロ)、MOF事業への配分は読み取れません 未確定/将来。
次はいずれも一次資料に記載がありません 未確定/将来。
MOFの売上・利益・製造能力(トン/年)の内訳と稼働率/シーニカの投資額と稼働開始時期/Svanteとの契約の数量・価格・期間/CALF-20以外のMOFの製品名と顧客/BASFのMOFの比表面積・細孔径などの製品仕様/追加の増設計画/各地域の化学物質規制上の登録状況/MOFへの公的資金。
8. この会社はナノテクノロジーで何を目指しているか
ここは会社が直接には述べていない部分を含みます。一次情報から読み取れる範囲の推測として、根拠とともに書きます。
| 読み取れること | 根拠となる一次情報 | 区分 |
|---|---|---|
| MOFを、顧客の実験室の配合を工場に移して作る受託型の事業として育てようとしている | 2023年10月の発表:Svanteの実験室の配合を、安全な工場の手順に変換してスケールアップ。顧客の要望に合わせたMOFを複数の拠点で製造できると説明 | 事実(会社の説明) |
| 当面は、CO₂回収と水の吸着という、市場が立ち上がり始めた用途に絞っている | 2025年12月の発表:現在は水とCO₂の貯蔵に主に注力。水素・天然ガスなどの用途も過去に研究したが、現在の中心ではないと読める | 事実(会社の説明) |
| MOF事業の規模は、全社の中ではまだ小さく、個別の開示対象になっていない | 年次報告書(2025年)にMOFの記載がない。売上・能力の数字は発表にもない | 推測 |
| ノーベル賞を、顧客・パートナーを増やすきっかけにしようとしている | 2025年12月の発表:ノーベル賞委員会が他の用途分野も示したことを受け、パートナーとともに開発したいと述べた | 推測 |
「MOFの事業規模はまだ小さい」と読む根拠は、開示のされ方です。BASFの2025年の年次報告書は、事業の概況、セグメント別の売上、研究開発の概要を詳しく載せていますが、MOFには触れていません。 一方で、MOFについては、2023年10月と2025年12月に専用のプレスリリースを出し、「数百トン/年」「世界で最初」と製造規模と実績を強調しています。 ここから、会社全体の業績に影響するほどの規模ではなく、一方で技術力の象徴として発信する価値のある事業と考えるのが自然です。 ただし、これは公式資料の記述の組み合わせから本稿が読み取った解釈で、実際の売上や利益、投資額は公式資料では確認できません 未確定/将来。
9. ナノテクノロジー分野の提携マッピング
BASFの関係の特徴は、CO₂回収の分野でSvanteへの供給が確認できる一方、他の顧客が社名つきで見える例は少ないことです。 BASFは「カスタムMOFを複数の拠点で作れる」と説明しますが、個別の顧客・数量は公開されていません。Svanteは、2030年までに数百の大規模な炭素回収施設を実現したいと述べていますが、これはSvanteの目標で、BASFのMOF需要への影響は確認できません 未確定/将来。
10. 提供している技術・製品・サービス
以下は、BASFの公式発表、取引先Svanteの発表、米国エネルギー省の発表、査読論文の記述です。BASF自身が公開しているMOFの製品仕様(比表面積、細孔径、収着量など)は見当たりませんので、BASFの製品の性能値は書きません。論文の値は実験室または試作段階の結果で、BASFの量産品の値ではありません 事実。
| 製品・用途 | 資料の記述 |
|---|---|
| MOFの製造(BASFの説明) | MOFは「ナノメートルの細孔と大きな表面積を持つ、高度に結晶性の構造」。CO₂の貯蔵、空調の除湿、メタンの吸着に高い能力があると説明。顧客の要望に合わせたカスタムMOFを、複数の拠点で製造する能力があると説明。「数百トン/年の生産規模で、MOFを作る世界で最初の企業」と主張(2023年10月) |
| CALF-20(Svante向け) | 亜鉛系のMOF。Svanteの説明では、CO₂を産業排ガスから最大95%回収する固体吸着材(セメント、ブルー水素の工場など)。BASFは、実験室の配合を安全な工場の手順に変換して量産し、米国シーニカで製造。Svanteは、低温の簡便な工程で、グリーンケミストリーの原則に沿って実験室から工業規模に拡大と説明 |
| CALF-20の論文値(Science 2021) | 水蒸気や湿った酸性ガスに強く、蒸気に対する耐久性は45万サイクル超。相対湿度40%未満で水よりCO₂を選択的に物理吸着し、再生に必要なエネルギーが小さい。1段階で合成でき、数キログラム規模のバッチまで合成を拡大できる(実験室の結果。BASFの量産品の値ではない) |
| 空気中の水の回収(AirJoule) | 米国エネルギー省の発表:Montana Technologiesは、米国の国立研究所(PNNL)が20年以上研究した発明のライセンスを受け、BASFとの共同開発契約でMOFの量産と商業的に成り立つコストでの製造を実証したと説明。BASFは、空調の除湿のパイロットプロジェクトにMOFを使っていると説明 |
| MOF一般の特長(BASFの説明) | 「内部表面積が最大10,000 m²/g」(MOFという材料群の説明で、BASFの個別製品の値ではなく、測定法も記載なし)。選択的に分子をとらえ、触媒としても使える |
(1) 「金属+有機分子」の組み立て式で、細孔を設計できる。 MOFは、金属イオンが「結び目」、有機分子が「梁」となって組み上がる結晶で、どの金属とどの有機分子を組み合わせるかで、細孔の大きさと性質を変えられます(ノーベル財団の説明)。これが、活性炭やゼオライトとの大きな違いです(本稿の一般的な整理)。 一方で、設計できる種類が膨大なぶん、実験室で優れた材料が、工場で作れる・壊れない材料とは限りません。CALF-20が注目されたのは、後述の耐久性と合成の簡便さを両立した点だとSvanteや論文が述べています。
(2) 煙道ガスでは「水」が最大の敵になる。 発電所やセメント工場の排ガスは水蒸気を含み、水分子がMOFの細孔を占めたり、構造を壊したりすると、CO₂を吸わなくなります。Science 2021の論文は、CALF-20が相対湿度40%未満でも水よりCO₂を選択的に吸着し、蒸気に45万サイクル超耐えたと報告します(実験室の評価条件)。 CALF-20の細孔の中心にある結合部位が、水分子どうしの水素結合のつながりを作りにくいことが、水の影響を小さくする理由だと論文は説明します。
(3) 再生のエネルギーが、運用コストを決める。 化学反応でCO₂を結合させるアミン液は、放出に大きな熱が要ります。物理吸着のMOFは再生に必要なエネルギーが小さい、と論文は述べます。Svanteは、蒸気を直接当ててCO₂を押し出す方式(「聖杯」と同社が表現)に向く材料だと説明します。 ただし、実際の装置での再生エネルギー、CO₂の回収量、吸着材の寿命は、BASFの資料には数値がなく、Svanteの実装のデータも公開情報では確認できません。
(4) 量産:実験室のレシピを「安全な工場の手順」にする難しさ。 BASFの発表は、スケールアップの主な作業を「実験室の配合を、安全な工場の手順に変換すること」と述べます。MOFは、溶媒、反応温度、結晶の大きさ、乾燥、成形など、実験室では目立たない条件が品質を左右する、というのが一般的な課題です(本稿の一般的な整理で、BASFの個別の工程の話ではありません)。 また、粉末のままでは装置に入れにくいため、Svanteは吸着材をシートに塗るロールツーロールの工程を開発したと説明します(BASFが作るのは吸着材のMOFで、塗工はSvante側) 推測。詳しくは、本シリーズの技術解説『金属有機構造体』を参照してください。
用途の限定に注意。CALF-20の耐久性の数値は実験室の論文の値で、BASFの量産品の仕様ではありません。他のMOFや、アミン液・ゼオライト・活性炭などとの優劣は、本稿では評価しません。
11. この企業が抱えるリスク
| リスク | 内容 | 区分 |
|---|---|---|
| 需要の立ち上がり | MOFの主な用途は炭素回収で、Svanteなど装置側の導入が進まなければ、MOFの数量も伸びない。Svanteは2030年までに数百の大規模施設を目指すと述べるが、これはSvanteの目標で未確定 | 未確定/将来 |
| 顧客の集中 | 社名つきで確認できる供給先はSvanteが中心。契約の数量・価格・期間は非公開で、他の顧客の存在は「カスタムMOFを作れる」という説明にとどまる | 事実/推測 |
| 開示の少なさ | MOFの売上・能力・利益は年次報告書にない。事業の採算や投資の優先度は、公式資料からは読み取れない | 事実/未確定/将来 |
| 主張の条件が不明 | 「世界で最初」「数百トン/年」は同社の説明で、比較の根拠・定義は公開されていない。「10,000 m²/g」はMOF一般の値 | 事実(会社の説明) |
| 全社の再編・コスト削減 | 全社でコスト削減と再編が進行中(2025年の再編費用9.37億ユーロ、従業員数は前年から約3,600人減)。MOF事業への影響は確認できない | 事実/推測 |
| 製造の集中 | 確認できる製造拠点は米国シーニカ。他の拠点での製造は「能力がある」との説明にとどまる。拠点の事故・停止の影響は公式資料からは分からない | 推測 |
| 規制・安全の位置づけ | MOFを含むナノ材料の扱いは、各地域の化学物質規制やナノ材料の定義の動向に左右される。BASFのMOFの登録・届出の状況は、公式資料で確認できなかった。「ナノだから安全/危険」とは一般化できない(本シリーズの技術解説『ナノ材料の定義と規制』を参照) | 未確定/将来 |
12. 用語集
- 金属有機構造体(MOF)
- 金属イオンと有機分子が組み合わさってできる、多孔質の結晶。ナノメートルの細孔を持ち、気体や水蒸気をためられる。
- CALF-20
- カルガリー大学で見いだされた亜鉛系のMOF(Calgary Framework 20)。CO₂の回収用に開発され、Svanteが使う。
- 吸着(物理吸着・化学吸着)
- 気体が材料の表面にくっつくこと。弱い力でくっつく物理吸着は放出が楽で、化学反応で結合する化学吸着は強いが放出に熱が要る。
- 固体吸着材
- 気体を表面や細孔でとらえる固体の材料。液体のアミンの代わりに使うと、再生のエネルギーを減らせる可能性がある。
- 相対湿度
- 空気中の水蒸気が、その温度で含める最大量に対して何%かを表す。
- スケールアップ
- 実験室で作れた材料を、工場の規模で、同じ品質で作れるようにすること。
- 炭素回収・貯留(CCS)
- 排ガスなどからCO₂を分離して回収し、地下に貯留すること。
- ブルー水素
- 天然ガスから水素を作り、出てくるCO₂を回収・貯留する方式の水素。
- パイロットプロジェクト
- 本格導入の前に、小さな規模で実際の条件で試すこと。
- ADR
- 米国預託証券。外国の会社の株式を、米国の市場で売買できるようにした証券。
- メーカーの説明
- メーカー自身が示す説明や数値。測定法・条件が一緒でないと、他の製品と比べられない。

13. 出典
- BASF BASF becomes first company to successfully produce metal-organic frameworks on a commercial scale for carbon capture(BASFの発表、2023年10月10日)。数百トン/年の生産規模、Svanteへのスケールアップ、複数拠点での製造能力。 https://www.basf.com/global/en/media/news-releases/2023/10/p-23-327.html
- BASF Nobel Prize for MOFs: Nanostructures enable large-scale extraction of carbon dioxide from the air(BASFの発表、2025年12月3日)。シーニカでのCALF-20の製造、研究の経緯、注力する2用途、ヤギー教授との協力。 https://www.basf.com/global/en/media/news-releases/2025/12/p-25-239
- BASF BASFの2025年通期決算の発表(2026年2月27日)。売上597億ユーロ、特別項目を除くEBITDA 66億ユーロ、純利益、再編費用、2026年の見通し。 https://www.basf.com/global/en/media/news-releases/2026/02/p-26-020
- BASF BASF Report 2025:Personnel Expenses and Employees。2025年12月31日の従業員数108,251人(前年111,822人)。 https://report.basf.com/2025/en/financial-statements/notes/personnel-expenses-and-employees.html
- BASF BASF Report 2025:Segments。化学触媒・精製触媒の事業が2025年1月から産業ソリューションの高機能化学品部門で報告されること。 https://report.basf.com/2025/en/combined-managements-report/basf-groups-business-year/segments.html
- BASF BASF Report 2025:Industrial Solutions。2025年の売上85.94億ユーロ、構成する2部門。 https://report.basf.com/2025/en/combined-managements-report/basf-groups-business-year/segments/industrial-solutions.html
- BASF BASF Report 2025:Innovation。研究開発費19.95億ユーロ、研究開発人員約9,000人(2025年)。 https://report.basf.com/2025/en/combined-managements-report/fundamentals-of-the-group/strategy/innovation.html
- BASF Ludwigshafen(公式サイトの拠点紹介)。BASFの本社所在地。 https://www.basf.com/global/en/who-we-are/organization/locations/europe/german-sites/ludwigshafen
- BASF California Research Alliance (CARA)(BASFルーマニアの公式ページ)。2014年開始、2023年時点の実績。 https://basf.com/ro/ro/who-we-are/innovation/how-we-innovate/academic-collaborations/CARA.html
- Svante Svante Secures Commercial Supply of MOF Advanced Sorbent Materials with BASF for Carbon Capture Market(Svanteの発表、2023年10月10日)。商業供給契約、CALF-20、2年間の共同スケールアップ。 https://www.svanteinc.com/press-releases/svante-secures-commercial-supply-of-mof-advanced-sorbent-materials-with-basf-for-carbon-capture-market/
- 米国エネルギー省 DOE and Montana Technologies Announce Breakthrough in HVAC and Water Harvesting Technology(2023年11月9日)。BASFとの共同開発契約、MOFの量産の実証。 https://www.energy.gov/technologytransitions/articles/doe-and-montana-technologies-announce-breakthrough-hvac-and-water
- ノーベル財団 The Nobel Prize in Chemistry 2025(プレスリリース)。北川進、リチャード・ロブソン、オマー・ヤギーへの授賞、MOFの説明。 https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/2025/press-release/
- ノーベル財団 The Nobel Prize in Chemistry 2025(一般向けの解説)。CALF-20への言及。 https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/2025/popular-information/
- 論文 Lin J.-B. et al., A scalable metal-organic framework as a durable physisorbent for carbon dioxide capture, Science 374, 1464–1469(2021年)。DOIはCrossrefで確認。 https://doi.org/10.1126/science.abi7281
- 論文 Li H., Eddaoudi M., O'Keeffe M., Yaghi O. M., Design and synthesis of an exceptionally stable and highly porous metal-organic framework, Nature 402, 276–279(1999年)。DOIはCrossrefで確認。 https://doi.org/10.1038/46248
- BASF 公式サイト(ロゴ画像の取得元)。 https://www.basf.com/
14. 主張と出典の対応表
最終更新:2026年10月9日/Troy Technical
本稿の内容は、BASFの公式発表・年次報告書(BASF Report 2025)、取引先Svanteの発表、米国エネルギー省の発表、ノーベル財団の公開資料、査読論文に基づきます。調査会社の市場推計や報道ベースの数値は使用していません。「推測」と記した箇所は、一次情報から本稿が読み取った解釈であり、会社の公表内容ではありません。製品の特長は同社の説明で、BASFのMOFの製品仕様は公開されていません。会社の計画・目標は未確定で、実現を保証するものではありません。本稿は、材料の取扱い・安全、投資の判断について、読者個人に助言するものではありません。